偶然と人生の確率

世の中は陰と陽の狭間で繰り返され、嫌なこともあれば良いこともある。エフィカシーが低い人もいれば、高い人もいる。そんな中、奇遇にもあるお仲間から声をかけていただき、急遽話をする機会がありました。なかなかじっくり腰を据えて話すことは少ないので、運命の大切さを再認識しました。

他人同士は「考えて話す」ことで遠慮が生じがちですが、反対に「考えなしに話す」ことは失礼にあたることも。人生の経験値が増えるにつれ、無意識に他人の魂のレベルをカテゴライズしてしまうのかもしれません。

私はインストラクターとして、体験のお客様を見ることが多いです。自己申告やメール、電話でのやり取り、テニスを通して、彼らの人柄やレベルの片鱗を垣間見、予測します。

しかし、年齢が上がると、生きている日数が多いため、自分より年上の人の言葉には説得力が増します。それでも、若くとも偽りない人生を歩み、他者に良い影響を与える人は尊敬に値します。

話の内容は「放つ」ように話すことが多く、言葉のキャッチボールができる人との出会いは、人生の大きな醍醐味です。もちろん、テニスの話やプライベートな話もし、共通の趣味を共有する喜びを感じます。

おじいちゃんやおばあちゃんは、シワの数だけ黒を刻んでいると言ったように、古い言葉にあるように、他人と協調しながら我が道を行く人は、ミロのビーナス級に輝いているのではないでしょうか。

どうもありがとうございました!