煩悩との葛藤を通じて、真の人間的魅力を目指して

知命の50歳に近づく中で、私は人々の「うちなる声」を感じるようになったように思う。

テニススクールを運営させてもらうにあたって実に多くの先輩達にお世話になっている。

そして、当初不可能だと言われた経営をある程度最低限の軌道に乗せられたことはスタッフはもちろんのこと、この「うちなる声」を惜しみなく伝えてくれた彼らに帰依する。

それは言葉の背後に隠れる真実の声、深層心理からの純粋な感情や思考を直感的に察知する力かもしれない。

だが、その感じ取った声や私が伝えたいと思うことを、煩悩から解放して相手に伝えるのは容易ではないと感じる。

私たちが108の煩悩を持つと言われているように、これは私たちの心の中に常に存在する欲望や恐れ、自己中心的な感情を示すものだと思う。

これらの煩悩が、私たちの伝えたいことを歪める可能性があることを理解して、どう伝えればいいのかを日々考える。

テニスコーチとして、私の中で「このアドバイスで評価されたい」「自分の能力を証明したい」という気持ちが湧き上がることがあることも確かだ。

だが、そのような煩悩を乗り越え、生徒さんたちにとって真に必要なことを伝えたいという思いも同じくらい強く持っている。

歳を重ねる中で、私は周りの先輩たちから多くを学ぶことができるようになってきた。


彼らの煩悩や葛藤を乗り越える過程、そしてそれによって獲得されてきたであろう人間的魅力や成熟した人格に、私は深く感銘を受けている。

彼らの経験を通じて、自分の煩悩を知り、それに向き合い、そしてそれを超えていく努力の大切さを学び取りたいと思っている。

私自身も、毎日の中で煩悩との葛藤を感じながら、真の人間的魅力や成熟に向けての活路を常日頃、等身大で探求したいと思っている。


これは容易なことではないかもしれないが、その過程で得られる経験や学びが、私を更なる成熟へと導いてくれることを信じていくように努めて行きたい。

「伝える」=「伝わる」、究極の数式だと感じてやまないのだ。