タイパに要注意!

「コスパ」と言う言葉はご存知だと思います。

「コストパフォーマンス」(費用対効果)の略語です。

しかし、僕はあまりこの言葉を使っている人で、本来の意味だと思えたことがほとんどありません。


実際のコスパとは…支払った費用(コスト)と、それにより得られた能力(パフォーマンス)を比較したもので、低い費用で高い効果が得られれば「コスパが高い」と表現される。


安くで買えたらコスパが良い、ネットで検索して見ても、コスパ最強と謳い文句に使われると安売りの物しか出てこない…

そもそも、自分が本当に欲しいものが、少しでも期待した値段よりも下がっていれば、コスパが良いと言っても良いのかもしれないが、とりあえず安くなってるものは「欲しくないもの」であっても「コスパが良い」と定義してしまう。

コスパを求めすぎてしまう人は、気がつくとアイデンティティーとなってしまう。

〇〇さんて言ったら「コスパ」…みたいな。



そして、ついにタイトル名にある「タイパ」まで求める人たちが出てきていると言われ始めた。

「タイパ」=「タイムパフォーマンス」(時間対効果)

いろいろな考え方があると思いますが、つまりかけた時間に対して、ある程度の効果が得ることができると言うことになります。

無駄な時間や、一見、無駄な経験をできなくなってしまうリスクがあるからこそ良いのではないでしょうか?

昔は、CDや本を買ったりや レンタルをするために、わざわざ近くの(田舎であれば、遠くの)お店まで足を運ばなければなりませんでした。

引きこもっていても、この時だけは絶対に出なければいけませんでした。

その中で、偶然の産物を見つけたり、発見があったり、遭遇があったりしました。

それと、同じであることに時間をかけることで、効率の悪さに気づき、効率を改善したり、遠回りをすることで新たな発見があったりします。

もちろん、時間も無駄にすることも多々あると思います。

でも、紆余曲折の中で思考錯誤があってこそ、創意工夫ができるのだと思います。

答えだけを求めているのであれば、生きること自体「タイムパフォーマンス」が悪いと言うことになってしまいます。

つまり死と同義にさえなりかねません。

「経験」よりも「情報」を求めすぎないことも大切なのではないでしょうか?


「循環する時間」についてのお話をした際に、私自身も効率ばかり求めて、繰り返される毎日の中でのささいな楽しみや喜び、ちょっとした気づきなどを忘れがちになっていた事を反省しました。


例えば、テニスのレッスンや練習でやる事は、基本的にプロの選手でも、一般プレイヤーでもほぼ同じです。

しかし、なぜ、お気に入りのコーチや贔屓にするテニススクールやテニスショップがあったりするよでしょうか?

きっと、それは、その人やその人たちが作り出す雰囲気や空気が、各の「蓄積された経験」が提供されるからだと思います。

つまり、今、この瞬間の対象となる人や、空間は、過去の無駄なことや効率が悪かった事を含めた連続性の中から生み出されたものなのです。


だからこそ、同じ球出しを受けても、ラリーをしても、試合形式をしても、千差万別なのだと思います。

テニスのレッスンが「ナマモノ」と言われる所以なのではないでしょうか?

極めて曖昧な存在が、人間で、完璧になりたいと思いつつ、どこか不完全なのが人間で、切り捨てられないのが下手な人間だからこそ「無駄」を価値のあるものにできるのだと思います。


逆説的な生き方ってみてはいかがでしょうか?