自己投影の方法で将来が激変する

人と人との付き合い方が多様化してきた昨今。
今回は心理カウンセラーの視点から書かせていただきました。

ミクシィから始まり、メルカリや、YouTube、オンラインゲーム、「出不精」、「引きこもり」や「パラサイト」と言っても結局のところSNSを介して、誰かとコミニケーションをとっています。

そして知らず知らずのうちに人と人との「関係性」が成り立っています。


つまり、ひとり(独り)でいると言っても他者が介在している中での情報交換や共有が存在します。

そして情報空間を介して何かを得ていると言う時点で本当の「ひとり」ではないのです。


ここで重要となってくるのは自己投影を得る方法の割合が「どこにある?」のかと言う点です。


人と合わずひたすらゲームやYouTubeの空間でコミュニティーを築いている人はリアルタイムで人と会話をすることが困難になります。

いわゆる「空気を読めない」「協調性のない」といった人間が誕生します。

別の視点からも…厳しいながらも「やりがい」と同時に「責任を負う立場」にある人は、生きると言う点において輝かしい位の自己投影を重ねています。その中には苦渋の選択もあれば艱難辛苦もあることでしょう。しかし乗り越えている。
従って他者から見たときの「輝き」や「屈託のなさ」は比類なきものとなります。


一方で、その立場にない人、または頑張っているつもりので本当の責任感を請け負えない人は期限や期日、ことの重大さに気づかず、自己投影の場を混沌な暗闇に落ちていることに気づかず偽りのアイデンティティが確立されてしまいます。
こうなってしまうと手がつけられない、大人ならなおさらその傾向が強くなってしまいます。

「本質」からそれずに自分と他人の境界線に気づくことが人間関係を円滑にし、エフィカシーの高い人たちを得ることができ、自己肯定感を高めることができます。


情報空間の世界で人間関係を円滑に構築できるからといってリアルタイムでの人間関係を構築できるとは限りません。

人の話を聞くだけで、その時間を割くだけで、何の進歩のない人間は逡巡した世界で悩むこと自体がアイデンティティとなってしまいます。

自己投影する場をどこに求めるのか?
本質からそれずに何を求めるのか?
自分の人生を良くすることも、そうでなくすることも自己投影の方法に関わってきます。


自分を映し出す鏡は「未来のある鏡」でありたいと強く思います。