我が強いことと自分を持っているの差

この子は我が強くて…とお話しいただくことがあるのですが、実は「自分が持っている」と言うことなのかもしれません。

小学生、中学生、高校生あたりまで、自分の意思がしっかりしている子と傍若無人な子と区別がつかない場合が多いようです。

なぜならば、義務教育の期間は、周りから突出してしまうと変人扱いされ、風変わりな人だと言うレッテルを貼られてしまいます。

80%の生徒たちと同じ色に染まらなければつまはじきにされそうな雰囲気が醸し出されます。

ではなぜ高校生あたりまでと定義したのでしょうか?

これは、高校生から専門学生、大学生、社会人になるにつれて本人自身がどのように、自分自身の意見や意思を持っているかと言うことがその人の「個性」と言う認識になり、筋道が通っている人間が周りから必要とされて重宝される人物になるからです。

基準は、自分の意思を通すにあたって「周りの人を巻き込んだり、他人の邪魔をするかどうか否かに」よるようです。

周りを巻き込む人は「我が強い」と言っても過言ではないでしょう。

しかし一方で自分自身の意思が固いと言うのは少し違ってきます。

周りに左右されず常に自分の基準で物事を判断している、その結果、周りに少し変わった人、協調性のない人といった風に見られます。

少年少女時代に求められる人物でなかったとしても、集団行動の中での定義なので、自分を出すことで、常に周りを巻き込んでしまわない限りは、安心できると言ってもいいと思います。


親御さん目線で見るとどうしても判断に難しいですが、例えば習い事をしていて、本筋を忘れずにふざけてしまうことと本筋さえ忘れてしまいふざけてしまうこととは、一見、差が無いように表面的には見えますが、実は大きく異なります。


あまり大人の権力で押さえつけてしまうと本人の将来芽吹くはずの「個性」が踏み潰されてしまう可能性があります、しかし同時にこの限りでない人が誰からも指摘も受けることなく大人になってしまった場合は由々しき自体となってしまう恐れもあります。


これらを踏まえた上で少し考えてみると、焦る気持ちもおおらかな目で見ることができるかもしれません。