謙虚さ


「謙虚さ!」

何を以て謙虚と言うのか
何をどうすれば謙虚とされるのか

英語にすると「modest」
控えめな、質素な、簡素な、派手でない、慎み深い

キリスト教文化が主流の欧米と、
やおよろずの神の精神や武士道がルーツとされる日本とではニュアンスが異なりますが、
何でもかんでもうんうんと聞き入れることや右にならうことではないし、
自分の存在を必要以上に誇示したり
欲望を相手に押し付けたりすることではないことは、共通しているように感じます。

辞書で「謙虚」を引くと、
「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」とあります。

また、最近有名な「利他の心」。
「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」という精神が自分自身も幸せへと導く。
「利己」ではなく、常に「他人のことを思いやる」精神。

こんな美しい心を持ち続け、
まっすぐに生きていくことはものすごく難しいことのように感じます。

人間は聖人でもなくお釈迦様でも、神様仏様でもありません。
喜怒哀楽が備わり、生きている限り理性と本能の攻防が続きます。

地位や名誉、お金を得ると、万能感が心の中に沸き起こります。
親という立場が、子供よりも「上」であるような錯覚に陥ったりもします。
この「万能感」「上」という目に見えないものが一番やっかいで、
こういう感情を内包していることは、やはり「謙虚」とは言えないかもしれません。

例えば、地位や名誉、お金を持っている人が、大病にかかったとき、
この「万能感」が「万能」でないことを知ります。
落ち込んでいる自分を適切な言葉で慰めてくれる子供を知ったとき、
親であることが「上」ではないことを知ります。

「謙虚」とは、
自分が「万能」でも「上」でもないと理解することから始まると思います。
「万能」だと思い続けて、
病気を治してくれる医者の治療に難癖つけることができますか。
慰めてくれる子供の手を、
お前の方が「下」だからと言って、無下に振り払うことができますか。

逆に謙虚でないことは感受性を鈍らせ、
人の優しさや助言を聞き入れない
狭量な人間を作ってしまうのではないかとすら思います。

こう考えると、「謙虚」であることは、さほど難しいことではないような気がします。
むしろ、謙虚でないことの方が、人生損をするんじゃないかと思うくらいです。

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


→力がなくても強いボールを打つ練習方法
https://youtu.be/vLTt0ppoQi8

 https://blog.with2.net/link/?2009474
人気ブログランキング参加中