柳沢正史先生で有名になり一般的にその重要さが打されたわけですが、この上田泰己氏の『脳は眠りで大進化する』は、異なる視点から睡眠が私たちの脳と身体にどのような進化的な恩恵をもたらすのかを解明する一冊です。本書は、睡眠と覚醒の関係を新たな視点から捉え、睡眠を単なる休息とみなす従来の理解を覆します。
特に興味深いのは、睡眠時に脳がエネルギーの高い状態にあるという著者の考察です。従来の「睡眠はエネルギーを補充する」というイメージとは異なり、本書では、覚醒時に眠気を感じるのは、睡眠中の高いエネルギー活動によって脳が情報整理や進化的プロセスを完了した結果であると説明されています。この視点は、睡眠の役割を「回復」ではなく「進化」として捉える点で、従来の睡眠科学を一歩進めた議論といえます。
さらに、本書ではカルシウムに関する記述にも注目すべき点があります。カルシウムは身体の骨や歯の形成に重要であることはよく知られていますが、著者はこれが神経伝達や脳の情報処理にも深く関与していることを指摘しています。特に、睡眠中にカルシウムがどのように脳内で利用されるのか、そしてそのプロセスが記憶の固定化やシナプスの形成にどう影響を与えるのかについての説明は、科学的でありながら読者を惹きつける内容です。
また、日本人の平均睡眠時間が先進国で最も短いことに触れ、これが労働生産性や精神的な健康に悪影響を及ぼしていることを指摘しています。睡眠不足が社会全体に与えるコストを考えると、質の高い睡眠を確保することの重要性が改めて浮き彫りになります。
さらに、具体的な改善方法として、寝る前のブルーライト（スマートフォンやパソコンの画面）を控えること、適切な睡眠リズムを整えることなど、実践しやすいアドバイスが数多く提示されています。特に「睡眠を溜める」という考え方を改め、「覚醒中にどのように脳を効率的に使うか」という視点は、日常生活の中で新たな行動変容を促す鍵となるでしょう。
一方で、情報量が多く科学的な内容が盛りだくさんのため、初めて睡眠科学に触れる読者にはやや難解に感じられる部分もあるかもしれません。しかし、著者の明快な文章や具体例が、そうしたハードルを緩和しています。
『脳は眠りで大進化する』は、単なる健康管理のヒントを超え、私たちの脳と身体がいかに進化しているのかを考えさせられる一冊です。睡眠の本質を理解し、日常生活を豊かにしたい全ての人におすすめです。