優先席の人生哲学、座る場所が教えてくれる生き方のヒント

優先席ってなんのためにあるんだろう?

実際に一般的に言われている通説と実体験の上で感じている現実だ。大きく異なる事はしばしある。

人と人との関係性、学校でのポジション、会社でのポジション、案外体感してみると、一般的なイメージと現実的なイメージが異なることがある。

その中で「優先席」についての概念は、ミクロ的なものかもしれないが、人間社会の現象を捉える上で衝撃的な一例だった。

それまでのテレビのニュースに映る韓国は日本に対してあまり良くないイメージだった。

もちろん、国同士のマクロ的な関係性はそうなのかもしれない。しかし一方で、現実的な超ミクロ的な視点は真逆と言って良いほどの感動すべき出来事だった。

韓国と日本の歴史的背景を考えると、その違いがより明確に見えてくる。

韓国は儒教思想が深く根付いており、長幼の序や礼儀を重んじる文化が強い影響を与えています。

また、アメリカの占領下にあったため、キリスト教の価値観も浸透しています。

一方、日本は多神教の神道や八百万の神という独自の宗教観を持ち、特定の絶対的なルールに縛られず、相対的な価値観で成り立っています。

優先席という概念は、社会の中でお互いに助け合うために設けられた重要なルールです。

しかし、その使われ方や捉え方には国によって大きな違いがあります。

私が韓国と日本で実際に体験したエピソードを通じて、優先席の本質やその意味について考えてみたいと思います。

韓国では、優先席は非常に尊重されていると感じました。私が今は亡き祖母を旅行に連れて行った時のことです。

私たちが地下鉄に乗った際、車内は混んでいたのですが、少しやんちゃな雰囲気の若者たちが、祖母を見かけるや否や、すぐに席を譲ってくれました。

彼らの行動は、自然であり、まるで当たり前のことのように感じられました。

これは、韓国社会に深く根付いた儒教思想や、アメリカ占領時代に影響を受けたキリスト教の価値観が背景にあるのではないかと感じました。

一方で、日本では優先席の使われ方に関して少し違った印象を受けました。

首都圏の公共交通機関では、見て見ぬふりをしている人が多いように感じられました(もちろん全員がそうではありませんが)。

日本は歴史的に見ても八百万の神や神道といった特定の宗教を持たず、相対的なルールで成り立ってきた国です。

このため、優先席の使い方にも個人の経験や価値観が大きく影響しているのではないかと考えました。

例えば、日本では「明らかに相手が自分より弱い立場にある人」に席を譲るという行動が見られます。

しかし、試験勉強で忙しい、今日は疲れているといった理由から、自分自身の状況を優先して優先席に座ることもあります。このように、優先席の概念が比較的主観的な判断に基づいているため、必ずしも必要な人に譲られるとは限りません。

韓国で感じたのは、「自分よりもこの席を必要としている人」という直感的な判断が、優先席の概念に深く根付いていることです。

逆に、日本では「自分の経験や価値観から判断して相手に譲るかどうか」を考えるため、少し複雑な判断が必要とされるのです。

優先席の本質とは、助け合いの精神に基づくものであり、どの社会においてもその意味は変わりません。

しかし、その使われ方や捉え方には文化や歴史の違いが影響しています。

本質とは何か?私たちが優先席の本来の役割を理解し、必要な人に譲ることができる社会がマクロな世界をよりよくする可能性を示唆しているのやも知れません。

テニスの上達や技術向上に「結果として」時間だけの概念が適用されないと言うことにもこれらの本質が関係してくるのでしょう。