年寄りの昔話って人生の指南書なんじゃない?

「老害」と言う言葉が世に跋扈するようになってしばらくたちます、対して「老人力」と言う言葉が昔、流行って本が出て、ベストセラーになったのを記憶しています。

僕はおじいちゃん子で育ちました。

戦争の話は大好きで苦労話や成功体験などのエピソードをたくさん聞きました。

近くの工場に京都にも関わらず間違えて爆弾が落ちた話。

ハシゴが崩れて2階の人が困った話。

やんちゃなグループを抜けるのに顔の形が変わった話。

赤紙で戦争に行かないために勉強して良い高等専門学校(現在の大学)に入学した話。

小学校で火事があり障害のある子をおんぶして避難した話。

大学の時に家庭教師で成績の悪い学生を志望校に入学させた話。

京大の研究室で塩酸を薄めて炭酸水にして飲んだ話。

ヒロポンを打った話。

全て「昔話」、でも何故かこの話は聞いていて楽しかったしわくわくさせられた。

その中に人生の教訓を得たと思ったことはないけど、自然と脳裏をいまでもよぎるし、恐らく色々な人生でのイベントに生かされているのだと思う。

昔話って不思議なもので、聞いているうちに自分もその時代にタイムスリップしたような感覚に陥るんです。

おじいちゃんが語る一つ一つのエピソードは、当時の風景や匂い、感情まで鮮明に蘇らせる魔法のような力がある。

そして、その魔法の力は、今の私たちにとって何よりも貴重なものだと感じるのです。

おじいちゃんの話を聞くたびに、時代背景や状況が異なるだけで、根本的な人間の悩みや喜びは変わらないのだと気づかされます。

現代の私たちが直面する問題も、彼らの昔話の中にその解決のヒントが隠されているのかもしれない。

例えば、困難に直面したときの忍耐力や、仲間と助け合う心、逆境を乗り越える力など、昔の人々が体験した数々のエピソードから学べることは多い。

おじいちゃんの昔話を通じて学んだことは、人生の中で本当に大切なことは、一瞬一瞬を大切に生きること。

そして、困難な状況でも諦めずに前を向いて進むことの大切さです。

おじいちゃんが語る話の中で何度も出てくる「諦めない心」は、今でも私の心の支えとなっています。

こうしたことから、やはり年の数が増えるにつれて、「歳を取る人」と「歳を重ねる人」に分かれるのだと思う。

そして後者の言葉が多くの人生の教訓となって、心に到着するのだと思う。そして年下の若者たちの将来的な起爆剤になり、良い方向へと足を向かせるのかもしれない。

生まれ落ちたときに、ゴツゴツの石だったからこそ、人生と言う長い歳月をかけて艱難辛苦を乗り越えて、喜怒哀楽を何度も何度も繰り返し味わったからこそ伝えられる、そして自然と伝わる丸みを帯びた光輝く石となるのだろう。

このようなお年寄りの昔話は、ただの昔話ではなく、まさに人生の指南書なのかもしれません。

おじいちゃんが語る一つ一つのエピソードは、私たちの人生の中で何度も蘇り、そのたびに新たな教訓をもたらしてくれるのです。

それが「老人力」と言う言葉の本当の意味なのかもしれません。

お年寄りの昔話を聞くことは、その「老人力」を私たちに授けてもらうこと。だからこそ、私たちはもっと耳を傾けるべきなのです。