履歴書から学ぶ、自己理解と未来への道

何十年ぶりに履歴書を書く機会があった。

就職活動中は夜勤になって手書きで頑張っていたが、その時には気づかなかったことに気づく。

この年になると、履歴書には、自分自身が歩んできた道が記されるということだ。
学歴職歴はもちろん近くの有無、もちろん記載することもできないものもあるかもしれないが、おおよそ自分の歩んできた道のりが浮き彫りになる。

高校生あたりからの人生を1行ずつ書いていくと、自分がどのような人生を歩んできたのかに気づかされる。

学歴、職歴、資格等々…

これらはただの文字列ではなく、一つ一つが自分自身の選択と結果、努力と挑戦、成功と失敗の物語を物語っている。

見方を変えると履歴書を書くという行為は、自己反省と自己発見のプロセスでもある。

過去を振り返りながら、自分が直面した困難、それを乗り越えた方法、そしてそこから何を学んだのかを思い出す。

それは自分自身の生き方を再評価する機会となり、今後どのように生きていきたいのか、どのような人間になりたいのかを考えさせられる瞬間でもある。

履歴書には書けない経験も多い。

人間関係での挑戦や個人的な成長、趣味や情熱、そして時には失ったものや諦めた夢。

これらはすべてが私たちを形作る重要な要素であり、それらを通して私たちはより強く、より賢く、より寛容な人間になる。

履歴書を書くことは、自分自身をマーケティングすることでもある。

しかし、それ以上に、自分自身と向き合い、自分の人生を真剣に考える時間でもある。

これは、自分自身の価値を再確認し、未来に向けての新たな一歩を踏み出すための重要なステップである。

テニスにおける自分の歩みも、履歴書を作成する行為と似ているかもしれない。

試合での勝利も敗北も、練習での努力も、技術の向上も、全てが自己成長の過程の一部であり、これら全てを振り返ることで、過去の自分がどのようにして現在の自分に繋がっているのかが見えてくる。

思い出せる範囲で、自分のテニス史を3カ月または半年、1年スパンで物事を箇条書きで書き出し、可視化することで、これまで見落としていた進歩や、未だ解決すべき課題が明確になるかもしれない。

これは、履歴書が私たち自身の人生の軌跡を記録するツールであるのと同様、テニスの履歴は私たちのスポーツとしての成長と発展を映し出す鏡である。

結局のところ、書き出す行為は、自己理解を深め、未来への道を照らす灯りとなるのだ。