将来の可能性と自立

テニス選手として成功するのは名門大学に入学する以上に難しいと言われてきた。

最近では学校に行かずともお金を稼ぐことのできる人達が台頭するようになった。

学歴はひとつの可能性を広げるものではあるが、絶対的な価値を持つものではなくなってきたのかもしれない。

ぼくが高校生の30年ほど前は「少子化で学歴がなくなるだろう」と言われてきた。しかし、いまだにその頃の神話は強く残っている。

僕が社会人になった頃は、会社を休むということは弱い人間の烙印を押されることであり、同調圧力こそが正義とされる傾向にあった。

もちろん、正念場で諦めるような人間にはなってはならないが、そこには周りの評価と自分自身が周りに与えてきた実績が天秤にかけられる。

時代は変わり、今日の若者たちは、自らのキャリアパスを探求する際に、以前とは異なる圧力と期待に直面している。

かつては、名門大学への進学や伝統的なキャリアパスが成功の象徴とされていた。

しかし現代では、プロテニス選手のような夢を追求する人々や、学校の枠を超えて独自の道を歩む人々も増えてきている。

これらのキャリアはかつては非現実的であるとか、リスクが高いと見なされがちだったが、今や多くの若者にとって魅力的な選択肢となっている。

テニス選手としてのキャリアは、極めて高い競争率と厳しい要求水準によって、成功する確率が低くなっている。

しかしながら、この道を選ぶことは、自分の情熱を仕事にすることができるという大きな喜びをもたらす。成功すれば、世界的な名声と高収入が得られる可能性がある。

しかし、これにはケガや健康問題、キャリアの短さといったリスクも伴う。不安定な収入と継続的なプレッシャーも避けられない現実である。

一方で、一流大学卒業後のキャリアは、安定した職業道と専門性に基づく高い収入を期待できる。多様な職業選択肢があり、社会的な地位も得られる。しかし、これには高額な学費と長期間の学業への投資が必要となる。

また、就職市場の変動リスクも考慮しなければならない。

最後に、学校を離れて自分の道を切り開く選択肢は、大きな自由度と個人的な充足感を提供する。自分の時間や方法で働くことが可能で、情熱に基づいた仕事をすることができる。

しかし、これには収入の不安定さやビジネスの失敗リスク、社会的なセーフティネットの欠如といった欠点がある。

これらのキャリアパスはそれぞれ、個人の能力、環境、価値観、目標に大きく依存する。

重要なのは、自分にとって何が最も重要かを理解し、自分自身の強みと情熱に基づいて意思決定を行うことだ。

親や保護者、指導者は、子どもが自分自身の道を見つけ、追求するのを助ける役割を果たすべきであり、彼らのキャリア選択に圧力をかけるべきではない。

結局のところ、キャリアの選択は個々のライフストーリーの一部であり、その選択は、その人が自分自身を理解し、成長する過程で変化することもある。だからこそ、キャリアの選択は柔軟であるべきであり、一度の選択が一生を決定づけるわけではない。

重要なのは、個々が自らの道を歩み、自分自身の幸福と充実を追求することである。

日々精進。