歳を重ねてこそ手放す「いしあたま」

ここ数年間ずっと思い続けてきたこと…

「考える」と「感じる」について。

ある学者さんが、人間は生物の頂点に立ったけれども「第六感」は、他の動物よりも劣ってしまった…


大人になるにつれて常識と周りと強調していく術を身に付けていく…

アインシュタインが言った…

「常識とは18歳までに身に付けた偏見である」

そして、社会人になって、いろいろなストレスと葛藤する…

ある人は、会社の人間関係に…
ある人はプライベートの付き合い…価値観に…
ある人は家族に対して感受性の違い…

ストレスが溜まってしまい、爆発しそうになり、病名と言う名のアイデンティティーを授けられる…


高杉晋作が言った…

「面白きなき世を面白くすみなすものは、心なりけり」

つまりそういうことだ。


子供や動物は、大人ほ蓄積された知識がないため「感じる力」を「知恵」として生きる術を身につける。


だからこそ、能天気で入ることができ、天真爛漫になることができる。


大人になって行き詰まったとき感覚を呼び戻す事はとても大切なことだと思う…


頭で考えて行動するよりも、本能で感じ取って行動する方が結果良いことが多い…


テニスを教えを教えようと一生懸命になるとかえって伝わらないことが多い…

楽しさの中に「愉しさ」を求めるようにするにはどうすればいいか、自分の感覚を大切に考えるよりも先に本能で表現する方がうまく伝わることが多い。

大人になれば、なるほど、蓄積された知識を頭で考えがちだが、人間には「無意識」と言う素晴らしい本能が備わっている。

艱難辛苦を乗り越えて、喜怒哀楽を感じた経験は、より洗練された本能として、自然な行動を引き起こす。


迷いに迷ったとき「原点(オリジン)」に立ち戻って見ると、無駄に迷う事は無いのかもしれない。


人生は悩んでいるほど長くは無い!