男の人の老後について考える…

結構真面目に老後の心配をする今日この頃…。

古語に「老兵は去るのみ」「年寄りの冷水」というものがあります。

また「老いては子に従え」といったような格言まであります。

果たしてそうなのか?
時代背景などを考えてみると日本において「男女平等」の考えが浸透し始めたのは、平成に入ってしばらくしてではないでしょうか?


勝手な憶測ですがこれは歳をとっていく行く男性に向けられた「苦言」だと感じるようになりました。


頑固じじいという言葉があっても、頑固びばあという言葉は耳にしません。

おばあちゃんの知恵袋や意地悪婆さん、老いた女性に対しての言葉は蔑称と言うよりもどこかしらの「生きるための知恵」を彷彿させるような「別称」な気がしてなりません。

昭和後期から平成初期にかけて「オバタリアン」と言う言葉が流行しました。

オバタリアンの漫画まであった記憶があります。


このように考えてみると老いていくと言う言葉の悪い意味は、男性にのみ適用されるのではないかと考えるようになりました。


歳を重ねるにつれて、女性は培った知識を人生経験を通して「知恵」に変えて一瞬一瞬を「楽しむ」ことに思いを巡らすのではないでしょうか。


男性は歳を取るにつれて、己が歩んだ道を「主観的」にしか見る事が出来ずに応用のきかない、一方通行の道のりを闊歩してしまうことが多いように思えます。

その最大のターニングポイントは「内助の功」に気づくことができるかできないか、他人に対して感謝の意もしくは謝辞を述べることができるかできないか。

もちろん、「男子家を出ずれば7人の敵あり」と古来から言われてきた所以なのかもしれませんが戦いは外のみにあらずと言うのも事実だと思います。


令和の時代が到来し、インターネットの普及でパソコンが台頭し、今となっては、携帯電話がその代わりの大半を担う時代となりました。


多種多様の価値観が、千差万別の楽しみ方が、無作為に蔓延するこの新時代を生きるためには「多角的な視点」を持ち「好奇心と順応力の感動を磨く」必要があるのだと思います。


ついつい44年も生きていると、なんとなく「どうせこんな感じでしょう」「いちいちめんどくさいな」なんて事は、日常茶飯事になってきます。


楽しく老後を過ごすためにも、意識の上で「めんどくさい/どうでもいい」と思った事は、積極的に行動を伴って取り組むようにしています。

科学的には、男女における「脳幹」の太さが異なるため、男性は女性よりも1つの事に執着してしまう傾向にあるようです。

一意専心の志は大切ですが、頑なに排他的になったり、新しいものを寛容する気持ちがなくならないように日々歩みたいと感じます。

人生の最大の憧れの先人達を見倣い今日も1日邁進していきたいと思います。