40歳からのお金と時間の使い方…?

不惑から知命に向かって折り返し地点を迎える時期になりました。

最近感じる事は、歳を重ねるたびに「価値観」は、人それぞれだと言うことです。

特に「時間とお金」については、人それぞれの考え方が年齢が増すにつれ大きな差となって現れます。

例えば「お金」。
貯金することに、心の安らぎを求める人もいれば、自己投資をすることで、自分磨きでそれを求める人もいます。中には誰かに与えることで満足を得る人も希にいます。

また「高価なもの/安価なもの」についても値段そのものを評価する人もいれば、値段に対しての期待値で評価する人もいます。

「コストパフォーマンス」の概念が分かれてしまうのは、このせいでもあります。

株式に投資することを「ギャンブル」と思う人もいれば「銀行よりも利回りが良い」と評価する人もいます。

男性平均寿命の半分をゆうに超えてしまった私が最近思う事は「形而上学的なもの」に対して、心の対価を求めるようになりました。

自分が「食べたい」ものがあれば、多少予算オーバーであっても「条件」をつけて食事します。

「読みたい」本があれば、多少高くてもへ買うようにしています。もちろん条件付きです。

僕にとっての条件とは「テニスのレッスンで元気よく!」と言った単純明快なものになります。

もちろん基準はありません。
自分の中で「頑張れた」と感じることができればクリアとなります。


若い頃は、周りに合わせたり、他人の価値観と言うものを学びたく思ったりしました。

人のことばかり気にしていると、それ自体に時間を割かれてしまい結局のところ疲れ果ててしまいます。

または、価値観のあいそうな人と一緒に行動を共にするようにします。

もし自分の世界を共有してほしいのであれば他人に「投資」して一緒に感じてみます。

合わないなぁと思えば、合う人を探せばいいし、1人で良いのであれば、それもまたシャレオツなものだと思います。

少なくとも、その場所に思うけど、同じ価値観を共有できる人たちがそこには存在します。


「時間」の概念も人によって、それぞれで「ダラダラ」することが、快楽と感じる人もいれば「きびきび」予定を立てる方が、天国だと感じる人もいます。

何も考えずに「のんびり」する人もいれば、「のんびり」しながら自然と考えを巡らす事が好きな人もいます。

休みの日に外出することをよしとする人、休みだからくそ言って外に出ることの必要性を感じない人もいます。


お金と時間を買うこともできれば、時間があることで、お金を生み出すこともできます。


ただただ楽しく過ごす時間を過ごすために「価値観を共有できる仲間」と作ること。

もしかするとお金と時間の価値観が合ってるからこそ楽しく時間が過ごせるのかも知れない。

逆説的な両者はどちらが「真理」なのか?

ラーメン屋で2周連続、会話を満喫した時にふと頭をよぎった僕なりの「幸福論」でした。