自己研鑽と影響力とは?

魂の色は何色ですか?

オカルトチックな切り出しなのですが、

人気アニメ「ソードアートオンライン」の主題歌「ANIMA」の歌詞で投げかけているワンフレーズです。

人生を振り返ってみると…

小学生の頃は「積極的な行動をとる」子たちが日の目を浴びています。

中学生の頃は「やんちゃな子と頭の良い子」が輝いて見えます。

高校生になってくると「その人自身の持つ生き様と覚悟」が人を魅了するきっかけとなります。
高校野球が代表的な例で、何か自分の好きなことを突き詰めている子などもその限りだと思います。


専門学生や大学生になってくると、これまでに培われた「努力の結晶」が「人として」魅力を放つことになります。

そして社会人になっていくと「目に見えない何か」が魅力となってきます。

もちろん仕事ができるとか、部下に優しいとか、頼りがいがあるとか…そういった表立って見えるものも、実は「目に見えない何か」がゲシュタルトを構築した結果として現れるのだと思います。


30歳後半に差し掛かると地位や名誉、もちろん大切なのでしょうが、そこに魅力があると言うのではなく、それとは別に「自分を磨いている」人にフォーカスされます。

これを私は「魂の質」いや「魂の色」だと感じるようになりました。


1番わかりやすい例に例えると「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるような高齢者に差し掛かった時にどれだけ周りから必要とされるか?と言う点に集約されるのだと思います。

65歳を超えて70歳を超えてくると、人生で培ってきた魂の質と輝きはその人自身の「姿」となって現れるのではないでしょうか。

周りから煙たがられる人もいれば、なぜかいろんな人に頼られる人もいると思います。


ではどうすれば、人から頼られる、必要不可欠な人物になれるのかと考えてしまうのですが…

結局のところ「利他の心」で「自分磨き」に抜かりがない人が結果としてこのような存在になるのではないかと感じるようになりました。

利他の心といっても、別に、他人に親切すると言う訳ではなく、「他人によく見られたい」とか「自分を磨けば誰かに勝てる」と言う感情を滅したものだと思います。

他人に、何も自分の価値観を強要しない、自分自身の存在を誰かに評価してもらいたいと思わない、ただただ自分自身が「こうありたい」と望むことのみで継続して鍛錬される積み重ねの結果へなのだと思います。

これが「魂の輝き」として、内側から溢れでてくるものでは無いでしょうか?

僕は、俗語として「キラキラ族」とひとくくりにしてしまうのですが、面白いことにこれは幼稚園や小学生の子供から還暦を遥かに越えた大人まで適用されるものだと思います。

レッスンをしているとこういったキラキラした形に出会うことが稀にあります。

何もジャニーズのように格好良いとか、B'zやミスターチルドレンのように感性に優れているとか言うものではなく、さりげなく「輝きを放つ」存在です。

中には多分そんなに目立たない人物もいると思うのですが、なぜか周りがその人に引っ張られる、その人が周りに影響及ぼすといった性質を持ち合わせています。

クラスや職場の人気者とは似て非なるもので、とても難しいのですが、そういう人たちを目の当たりにすると、自分自身も自己研鑽に力が入ります。

別に、「他人に興味がない」「他人と比べられたくない」と思う人も多数いることだと思いますが、全くこういった本人の気持ちとは、裏腹に「キラキラ族」として成立するのです。

人生を楽しく過ごすには、自分自身の魂を磨いて誰かに「キラキラ」をほんの少し与える事なのかも知れません。

僕の多くのキラキラ族に感謝します!