今の自分がなぜこんな風になったのか?「ルーツ」を感じる旅

振り返ってみると「44歳」…

寿命の半分を過ぎていることに気づく…

老若男女問わずいろいろな方の人生観を垣間見てくると自分自身の「ルーツ」が気になる今日この頃です。

簡単に言うと「自分はどうやってこの性格になったのか?」や「自分はなぜこんな風な人間となったのか?」などと積極的な意味で気になり始めました。

心理カウンセラーの勉強や、整体の勉強していると心と体は1つなのだと感じるようになりました。

表裏一体を持つこの性質…

色々なJrの成長も垣間見てきました。

人間はパターン化されないと言いますがおおよそは「ネガティブな成長」なのか「ポジティブな成長」なのかは中学生あたりまででイメージできます。

ネガティブ要素が強いからダメだと言うわけではなく、自分自身を「認める」ことによってポジティブ要素に転換することもできます。

さて私事なのですが、最近15年ぶりに大学の後輩と会いました。

新卒で就職して退職して、テニスコーチを始めてからはほぼ休みなしの日々で結婚式やゼミの集まりや同窓会などを断り続けていると誰も連絡してこなくなりました(笑)

立ち位置的にそんなもんなのでまぁそうだろうと思い…
ゼミに関してはゼミ館だったのに仕事にかまけてすっかり忘れてしまったと言う黒歴史もあります。
(深川先生ごめんなさい…)


そんな僕をひたすら誘い続けてくれてた後輩たちがいました。

15年ぶりに会った時は「懐かしさ」と同時に「えもいわれぬ興奮」を感じることができました。

もともとコミニケーション能力の高い後輩達だったので気がつけば3時間…
話した内容なんてほんとくだらない…

でも最後に残ったのは「プラスの情動」の連続でした。

大学名とは裏腹に鬼のように厳しかった寮生活でしたが、その中でもとりわけ(僕は先輩だったので)反旗を翻すが如く彼らを助けていたようでした(笑)

全然そんなつもりでもなかったしひたすら卑猥な言葉と猥談で学生生活の終わりを告げたのですが…


でも、その時ふと思ったのは言葉はあくまでも「感情の表現の手段」であると言うことでした。


確かに、しんコーチや、石田コーチと話していても、僕の文章構成能力は小学生以下…
察しと思いやりだ成り立っているようなものです(笑)

結局心がどのように感じるかと言うことが大切なのだと思います。

話がそれましたが僕の自己肯定感はこういうところで育まれていた(意図しないところで後輩に慕われていた、そして感謝されていた)と言うことに気づきました。

そして、分け合って祖父のお墓参りに行くことになったのですが、ちょうど(おそらく人生で1番目の)お世話になったお兄さんが(もう親父ですが、笑)京都にいると聞いたので20年ぶりに早速電話… (いや、もっとそれ以上かも…)

初めて東京に行った時にお世話になった方で、小学生の間は本当に本当に迷惑をかけまくり…遊び相手になってもらいました。

役職のある聖人になられて、YouTubeで見てもYahoo!ニュースで取り上げられていても、真面目すぎる人物にしか見えなくなってしまい、恐る恐るアポイントを取ったのですが…電話越しに名前を名乗ると…


「お前と白本は忘れるわけがない、忘れたくても忘れられないインパクトだ…」と昔の頭のまま話をしてくれました。

この時にまた「プラスの情動」を受けることができました。
それと同時に走馬灯のように彼との過去の記憶がよみがえってきました。

色々とやらかしたんだろうな…
でもやっぱりこういった心温まる人たちに支えて、いろいろなきっかけを与えてもらったからこそ今の自分があるんだなぁと感じました。

人生半分を過ぎると自分のルーツを私が探していると言うのは案外面白いと思います。

なぜ自分がこのような性格になったのか?
なぜ自分がこんなふうに入ることができるのか?

もちろんポジティブな意味で受け入れるための行為が前提ですよ。

単純馬鹿なのかもしれませんね(笑)

アーメン。