テニスの存在感

テニスに没頭したり、仕事に没頭したり、育児に没頭したり、なにかに「打ち込む!」と言うことは子供も大人もとても大切なことであり、実は「生きる」を感じることです。


キルケゴールは言いました、「人と人の間に自己の認識が存在する」…と。


つまり、人との関わりを避けがちになると自分自身の「形」が崩れ始めて自己の存在が曖昧になってしまいます。

「何のために?」と考えているうちは良いのですが「無気力」になって食べることも飲むこともしなくなるとSOSのサイン!


何もせずに太ってしまう、「暴飲暴食」を繰り返して太ってしまうのは「生きる」を実感してゲシュタルトを保とうとする行為です。


思春期に髪の毛いじったり、ファッションにハマったりお化粧し始めたり、全てひっくるめて「生きる」を感じまくっていると言うことです。

女好きな兄ちゃんやおっさんがいても、とりあえず彼氏がいないと落ち着かない女の子も皆んな同じ!

「生きる」を感じてlibidoを発動させる、Todestriebを回避させるための本能なのだと思います。


何かに打ち込むことで「生きる」を感じる。

その質が高尚な質の高いもの(形而上的な物も可)だとより一層、幸福感を感じることが出来るのだと思います。

高尚なもの
○継続
○克己心
○愉しむこと


これらが生み出す幸福感は生きるを最大限に感じさせるのだと思います!

今日も一日、共に頑張っていきましょう!