言葉が未来を決める理由(ワケ)

大人の一言一言は実は子供の「未来を決めている」と言っても過言ではないと常々気を配るようにしています。

ドリームキラーの話は度々出てくると思いますが、その類で、「あなたには無理」や「もうちょっと現実的に…」といった漠然としたダメ出しは、「どうせ僕はダメなんだ」と言ったマイナス思考に陥らせてしまいます。

これと同じ性質を持ったものが違う表現で投げかけられることがあります。

それは、「親や指導者の価値観」の範囲で子供に苦言を呈したり、許してしまったり、物事を決めつけてしまうと言う点です…。

20年目となるコーチ生活ですが、僕は常に研修生の当時から気をつけていることがあります、それは「自分が経験していない世界を、さも1人称の言葉で経験した言葉として伝えてしまうことです」。

つまり、僕は国体選手でもないし、全日本選手権にも出てないし、努力をして高いレベルの競技ができているわけでもありません。

もちろん、僕が想像する範囲を超えてくれる選手はまぁそう簡単には出てこないと思います…

しかしながら「可能性」といった部分ではこの限りではないと思います。

ですから、僕は常日頃から高いレベルの物事を伝えるときは3人称で伝えるようにしています。

世界のトップレベルの選手と歩んできたコーチたちはどのように伝えていたが、また失敗した選手はどのように道を踏み外したのか…


もっと身近な例は、僕の両親は「高卒」…様々な理由はありましたが「大学」を経験したことがありません。
しかし、親としてこの年になって初めて兄弟揃って感謝する事は、「自分の価値観で大学のあり方を決めなかったこと」だと思います。

(有名大学卒業が必ずしも成功だとは思っていませんが…)

つまり、両親は自分たちの知らない分野は「専門分野に長けた人」に一任したのです。

気になることがあれば自分の意見を差し置いて専門家の意見を聞き入れ、それに対して行動を起こしてきたと言う結果、希望が意志へと変わり、目的を達成することができました。


1番手っ取り早いのは「社会に出た時/選手としてカスをした時」その道理や理屈は通用するのか?と考える点にあります。

もしグランドスラムに出場できるのであれば、熱を出しても足を引きずってもいくことでしょう。

もしイエール大学や東京大学、ハーバード大学に入学できるのであれば徹夜で眠いからといってもとにかく行動を起こすことでしょう。


つまり、それは自分たちが起こり得る未来で通用するのかどうか?
そしてまた先駆者である大人たちは1人称と3人称を履き違えてさも自分のことのように伝えていないかどうか?


これらの考え方が森羅万象全ての子供の将来につながっていくのだと思います。

もちろん人生の半分を過ぎてしまった僕にも同じような理屈が当てはまることでしょう。

日々精進。