なぜテニスが楽しいのか?

自分自身のことを俯瞰してみると「まぁ、飽きもせずに同じ仕事を続けているな」と思う一方で、嫌がらせを受けた可能性が溢れる若さMAXの時でさえ「辞めたい」と感じた事はありませんでした。

1種の「シンパシー」的なものが、皆さんと時間を共有することで「エンパシー」に変換されていくのでしょう。

本田圭佑選手が「好きなことでは食べていけないと言うけれども、食べていけないのはそこまで好きじゃないからだ、真剣じゃないからだ」といった苦言を呈しています。

確かにしんコーチや眞魚コーチ、下川選手などともし同世代で、同じフィールドにいたとしたら、間違いなく僕はその場所に立てる人間ではありません。
テニスに命をかけて、結果を出すために死に物狂いで頑張ると言う事は並大抵のことではありません。

しかし一方で「熱意/想い」は彼らに負けず劣らずの部分はあると思います。

今の自分の働きやすさと、本質にしか向かっていない真剣さと心地よさにはそれなりに邁進できているんだなと自負したい気持ちでいっぱいです。

また一方でシンパシーからエンパシーに変換されると言う意味合いは、レッスンの中でのお客様とコーチの「一生懸命」「一所懸命」「一道懸命」な心のぶつかり合いせめぎ合いが高尚なものへと昇華させていくからなのだと思います。

「魑魅魍魎」「酒池肉林」「傍若無人」が跋扈する日常生活のストレスを、不安を解消していくのでしょう。

それは高知も然りだと思います。

ここ10年で大きく時代は変化していったと思います。
これから先「120歳寿命」と言われ始めました。

子供も大人も大切なのは「やりたいこと/心が軽くなること」を自分のために取り組んでいくことが大切なのだと思います。

学歴社会もそろそろ終わりを告げようとしています、しかし一方でやりたいことを突き詰めるでいけないのであれば「1つの基準としての学歴」はしばらくは必要なのかもしれません。

何かやりたいことに一心不乱に突き詰めていくことで将来の必要なスキルを身に付けられるのだと思います。

幸いテニスは体と体、心と心のぶつかり合い、せめぎ合いの中でプラスの情動を育むことができます。

バーチャルの世界が発達しても体と体の協奏曲は絶える事はないでしょう。