YouTubeを始めさせてもらって3年目、当初はいろいろな思惑や、困窮の中からの打開策として始まりました。
そして1000人を超えたあたりでたまたま韓国のファンの方が「てにしんぐTV」を見てくださっていて、また社長の期待もあり、続けることになりました。
そして興味深い事実に直面しました。
それは変わりゆく社会における「必要性の変遷」。
具体的な例を挙げてみましょう。
僕の英語のレベルは英検2級程度。
当時大学生だった頃の彼女が帰国子女だったことに才能と努力の差を感じこれ以上は無理と挫折(笑)
しかし20年近く経った今となっては高精度な翻訳ソフトが開発されている。しかも無料で。テロップは基本的にこのソフトを使用し始めました。
それから間も無くして1ヵ月に2、3回程度海外の方からコメントもいただくようになりました。
英検の資格が(英語力)がなくてもほぼ通じると言う世界がいとも簡単に成立してしまうようになりました。
つまり、英語力がなくても英語が通じる世界が成立してしまう事実に気付かされたのです。
僕が子供の頃に今まで必要とされてきたスキルはそこまで必要のないものへと変わってしまいました。
ではこれから先、何が必要になってくるのか?
それは、「個性の表現」と「コミュニケーション能力」なのです。
オンラインゲームやSNSは著しい成長遂げました。
引きこもっていても誰かと一緒にいた風になるのです。
しかし一方で、これらのスキルは「リアル(生)」でしか培えないことが多いのです。
ゲームをしても本を読んでも、読み書きしても、日記をつけても、排他的なうちなる世界から脱出できなければ「リアル」な社会においては意味をなさなくなります。
もちろん内なる世界だけで完結する方法を見つけられれば良いと思います。
でも結局のところテレワークで済むものも殆どの会社では喉元過ぎれば出勤を余儀なくされる事態となりました。
そして人と人が対話する世界ではマイペースは通用しない。
だからといって他人と足並みを合わせる必要はない。
一見矛盾しているこの2つですが他人が介在した時点でせめぎ合いが起こります。
それでは、何が必要なのか?
それは「相手のペース」と「自分のペース」の境界線を行き来することである。
このグレーゾーンを行き来することこそが現代に必要とされている人生の楽しみ方の原石なのだと思います。
受験勉強に必要なスキルは合格するための勉強で、テニスの技術はボールを打つことで、人間関係は人と接することで磨かれます。
感受性を磨くのも自分の世界と他人の世界を共鳴させなければなりません。
大切なのは子供でも大人でも「向き合うこと」「自分のことなのか?他人のことなのか?を正しく理解すること」
そうしていくと五里霧中の精神状態であっても艱難辛苦を乗り越えることができるのだと思います。
人生とは複雑怪奇のように見えて実は単純明快、いたってシンプルな1.逃げない、2.ごまかさないことの積み重ねなのだと思います。
そして同じ場所を逡巡しない人にはさらなるステージが設けられることでしょう。
そしてまた新たな逡巡の中で、次の目的を遂げるために挑戦し続けるのだと思います。
時代の潮流とともに価値観が変わります。
しかし、実はその価値観は本質を変えずに視点を変えるべきものだと言うことに気付く必要があります。
そしてそこに人生の成功はあるのかも知れません。
向き合う姿勢と努力の時間の積み重ね本質から目を背けずに邁進していきたいと私も思います。
そして1000人を超えたあたりでたまたま韓国のファンの方が「てにしんぐTV」を見てくださっていて、また社長の期待もあり、続けることになりました。
そして興味深い事実に直面しました。
それは変わりゆく社会における「必要性の変遷」。
具体的な例を挙げてみましょう。
僕の英語のレベルは英検2級程度。
当時大学生だった頃の彼女が帰国子女だったことに才能と努力の差を感じこれ以上は無理と挫折(笑)
しかし20年近く経った今となっては高精度な翻訳ソフトが開発されている。しかも無料で。テロップは基本的にこのソフトを使用し始めました。
それから間も無くして1ヵ月に2、3回程度海外の方からコメントもいただくようになりました。
英検の資格が(英語力)がなくてもほぼ通じると言う世界がいとも簡単に成立してしまうようになりました。
つまり、英語力がなくても英語が通じる世界が成立してしまう事実に気付かされたのです。
僕が子供の頃に今まで必要とされてきたスキルはそこまで必要のないものへと変わってしまいました。
ではこれから先、何が必要になってくるのか?
それは、「個性の表現」と「コミュニケーション能力」なのです。
オンラインゲームやSNSは著しい成長遂げました。
引きこもっていても誰かと一緒にいた風になるのです。
しかし一方で、これらのスキルは「リアル(生)」でしか培えないことが多いのです。
ゲームをしても本を読んでも、読み書きしても、日記をつけても、排他的なうちなる世界から脱出できなければ「リアル」な社会においては意味をなさなくなります。
もちろん内なる世界だけで完結する方法を見つけられれば良いと思います。
でも結局のところテレワークで済むものも殆どの会社では喉元過ぎれば出勤を余儀なくされる事態となりました。
そして人と人が対話する世界ではマイペースは通用しない。
だからといって他人と足並みを合わせる必要はない。
一見矛盾しているこの2つですが他人が介在した時点でせめぎ合いが起こります。
それでは、何が必要なのか?
それは「相手のペース」と「自分のペース」の境界線を行き来することである。
このグレーゾーンを行き来することこそが現代に必要とされている人生の楽しみ方の原石なのだと思います。
受験勉強に必要なスキルは合格するための勉強で、テニスの技術はボールを打つことで、人間関係は人と接することで磨かれます。
感受性を磨くのも自分の世界と他人の世界を共鳴させなければなりません。
大切なのは子供でも大人でも「向き合うこと」「自分のことなのか?他人のことなのか?を正しく理解すること」
そうしていくと五里霧中の精神状態であっても艱難辛苦を乗り越えることができるのだと思います。
人生とは複雑怪奇のように見えて実は単純明快、いたってシンプルな1.逃げない、2.ごまかさないことの積み重ねなのだと思います。
そして同じ場所を逡巡しない人にはさらなるステージが設けられることでしょう。
そしてまた新たな逡巡の中で、次の目的を遂げるために挑戦し続けるのだと思います。
時代の潮流とともに価値観が変わります。
しかし、実はその価値観は本質を変えずに視点を変えるべきものだと言うことに気付く必要があります。
そしてそこに人生の成功はあるのかも知れません。
向き合う姿勢と努力の時間の積み重ね本質から目を背けずに邁進していきたいと私も思います。