温故知新で人生を成功へ…!

「お国のために死にます!」から「自分のために行きます!」の時代へと変遷を遂げました。

歴史物のアニメが好きな男ですが、理由は「生きるために生きる」ことでその生涯を全うせしめようとする点に興味の矛先が向きます。

何か目標や目的を持って生きることすらままならない恵まれたこの時代。

風邪をひいて休んでもNetflixやAmazon Prime、YouTubeやネットコミックス…

むしろ隔離された空間にいる方が何者にも邪魔されずに天上天下唯我独尊できる時代がここ10年位で達成されることとなりました。

「不登校」と言う状態に陥ることも昔の定義を持たなくなりました。

19年目に差し掛かろうとしているコーチ歴の中で実に多くの人々と接することができ、相談も受けることがありました。「体調不良」から「DV」、「やんちゃ」や「喧嘩話」…「恋愛相談」…「進路相談」etc...「不登校」もその一つでした。

特に進路相談と不登校は昭和生まれの僕の時代とは大きく変わってしまいました。

進路は良い意味で大学以外の選択肢の幅が広がりました、他方で不登校は良くない意味でその様相を呈してきました。

家で全てのことが完結するため「引きこもり」や「パラサイト」の予備軍が増える可能性が高くなりました。

それは「コミュニケーション」の点が大きくかけてしまうからです。

オンラインでやりとりをしていても実際の「リアル」での相手の反応やとっさの対応を余儀なくされるケースが激減してしまうからです。

周りを見ながら自己主張することと、一方的に多数の中で自分のことを伝えるのでは横並びにいる仲間たちの反応が大きく変わってきます。

平成中盤まではゲームを持ち寄って「リアル」で人が集まって対戦していました。
そこには「友達と約束をする」「足を運んで生の反応を感じる」といった無意識下でのコミニケーションが発生しました。


大学を出て、社会人になって、テニスコーチを目指して、大切なのはまず「人と人とのつながり」ということに気づかされました。

立場によって伝え方や伝わり方を考える必要性を大きく感じます。

周りのスタッフからもここ4年で大きく学ぶことができました。もちろんこれからも必要となります。

もしバーチャルの世界だけで全てが達成されたいするのであればこの問題は由々しき事態となる事はないでしょう。

また、コミニケーションが取れなくて1人でぽつんとしていても一生分のお金があればそれでも良いと思います。

しかしこの2つは今の時代の人たちが生きている間には達成される事は難しいと思います。

キルケゴールで言うところの「死に至る病」は自分と他人との間に「自己と言う存在」が肯定されると言われています。

ちなみに私はコミニケーションのスキルはかなり低く「コミュ障」の少年時代を過ごしました。

ゲームをしていてもリアルな時間で仲間とコミュニケーションが取れることこれが人生最大の楽しみだと、自分の人生を有意義なものにしてくれるきっかけだと強く感じます。

オンラインとリアルのバランスは人間形成において確実に今現在においては必要だと言えるでしょう。