崩れかけた大人と子供の関係性と役割を修復するために

僕たちの子供の頃は近所にはちょっとめんどくさいおじさんがいて、口うるさいおばさんがいて、学校には超怖い先生が1人いました。

自分の親ではなく、身近な他人に大人の強さを見せられることで「脅威」を感じるとともに、「やって良いこと、悪いこと」を自然と学びました。

もちろん偏った大人もいたと思います。

でも、その中から取捨選択をしつつ「人生」を学ばされたことだと思います。

そして立派な大人は子供の聖域にはギリギリのところで入らないといった正義があったと思います。

昨今は「叱り慣れてない大人」VS「怒られ慣れてない子供」の構図となっています。


叱ることもできない大人は子供に舐められてしまいます。怒られることに慣れていない子供は小さな挫折をすると立ち直れなくなってしまいます。


ビデオやCDを借りに行く冒険もなくなりました。

デバイスの発達により、親に隠れてこそこそゲームができてしまう環境が整ってしまいました。

擦り傷で病院に行き、先生にちょっと叱られると親が逆上してしまう…、それとは逆にネグレクトに近い「放置」もあります。触らぬ神に祟りなし…

身を美しくすることで「躾」(しつけ)と読みます。

物事に向き合う姿勢や態度が人生において大切になってきます。

健全な身体は健全な「精神」において育まれます。


たかがテニススクールのいち指導者、されどテニススクールの先生。

自分と向き合ってきた人生経験豊富なコーチが今後必要になってくるのかもしれません。

松下村塾か?稲和塾か?はたまたPHP研究所か?

ハリネズミのジレンマを抱えながら日々精進!