子供のやる気を育む方法③個々の動き

ちょっと今日は内容を「うまくいかない人/運動が苦手な人」にフォーカスしていきたいと思います。

もちろん、子供にフォーカスをしていますが大人でも同じことが言えますのでよろしければご参考くださいね。

なぜうまく「タイミング」「リズム」が取れないのか。

昔からある練習方法で横向きを作らせたままボールを出せると言う、手で出す球出しの練習方法があります。

プレイアンドステイでテニスコートを「横」に使っているところでは多く見受けられます。
そして、ほとんどのテニススクールでは初心者、初級者の指導方法として用いられています。

STEPの踏み方としては下記の通り
①横向きを作ってボールを打つ。
②構えた状態「レディーポジション」から横向きを作らせてボールを打つ。
③そしてラケットの球出しに移行する

人間は脳の性質として「飽きやすい」と言うものがあります。

毎回毎回横向きを作ってボールを出されているとその動作が癖となり、実際の動きの中でうまく反応ができなくなってしまいます。

また、構えた状態からボールを出す際に気をつけておきたい事は、次の動作が特定されてしまう点にあります。
ボールを出したらお約束で、次は右側で打つ、つまり構えるまでは良いのですが次に来るボールがフォアハンドバックハンドとお決まりパターンに限定されてしまっている。
なんとなくこの動作を繰り返していると脳の柔軟性が損なわれボールに対する反応が著しく低下してしまいます。惰性で日常を過ごすようなものですね(笑)

ラケットの球出し自体は目的があれば問題は無いのですが、やはり出す場所がある程度特定されるため予定調和的な動きになってしまうことが多くあります。
テニススクールのほとんどでは友達が多くあります。
同じような球出しを行っていてもテニスコーチの考え方ひとつで単なる球出しになりますし、反対にラリー以上の効果があることもあります。


では何を大切にしていけば良いのか?
それは「心の癖」や「個人の体の動き方/使い方」の特徴にコーチが気づくことができる、そして相手の無意識のうちに働きかけることができると言う点です。

フォロースルーを最後までできない子に対してはちょっとだけ短めなボールを出してあげる、そうすることで最後の一方頑張って出そうとすると肩の力が抜けて弧を描くフィニッシュの兆しがでてくる。

ボールに全く当たらない子に対しては、こちらからちょっとテンポやリズムをずらして当たるように仕向けてあげる。
何球か出す場合は、はじめのボールを出したときに動きを見て、2球、3球目にその子のリズムや動作に合わせてボールが当たりそうなタイミングで出してあげる。

また、無意識の状態で体を使うことで人間の緊張状態はほぐせることができます。
つまり「脱力」を強制的に引き出します。

例えば、手出しで左右に振ります。よくあるメニューですが、その人が動いている中であと1歩といったところに配球をしてあげると案外ラケットとの距離が保ててスイートスポットにボールを当てることができます。

個々の体の動きの特徴をとらえてどのようにもっていくのかを短期/長期でイメージしながら、上手に運動連鎖が出来るようにボールを送ります。

できない中でもできることを見つけることができるようになれば「成功体験獲得」!!
レベルに応じて繰り返し行っていくことでより高いレベルに手が届くようになります。

しかし、何事も焦りは禁物、毎日の「楽しむこと」と「やりたいこと」をきちんとした方法で積み重ねていく方法以外に達成の兆しが見えてきます。

何時間テニスをやってもうまくならない、何年通ってもわからない、悩む前にまず色々と見直しながら自分のできることをやってみてはいかがでしょうか。

特に、本気でプロを目指すなどと考えた場合には技術以上に指導者の遍歴が重要になってきます。
多くの人が見落としがちなこの点も「塾」選びを考えたときに見えてくるのではないでしょうか。
有名進学校に続々と合格者を出しているところが必ずしも良いとは限りません、賢い子に頭画像を出していたり、母数がとても多かった場合は埋もれてしまう子がたくさんいます。

あまり知られていない個人のできる先生が実は良かったと言う場合が少なくありません。

自身の半生に振り返ってみても、中学生の時に家庭教師と塾に通い散々な成績をたたき出して笑えない受験時代を過ごした私が体験しているのでカテゴリーは違えどもこの点は痛感しています。
一方で高校時代に宿も通わず(少し特殊な学校ではありましたが)毎日学校に通っているだけで成績を無理矢理上げさせられた経験からもこのことは声を大にして伝えたいと思います。


そして私の恩師が馬鹿な私を自信付けてくれた指導方法は「本人の性格、勉強の技術に合わせた3年がかりの修正を加えながらおこなう」と言うものだったと言うことは言うまでもありません。