本当の時間の概念

よく上手くいかない人の多くは「時間」が多いことを「過程」とし、時間を積み重ねていくことで「結果」を得ることができると方程式を作ってしまう。

しかし、上手くいく人の多くは「時間」は没頭した結果、過程が過ぎ「絶対的な時間」を「結果」として過ごしている。

人の噂も七十五日・・・といわれるくらいだから、時と共に解決することもあるのだろう

しかし、「噂」と定義すると「自分自身ではどうにもならないこと」、つまり「他人ありき」と言う第三者的要因が強くなる。

自分ではどうにもならないことがある。いや、むしろ自分ではどうにもいかないことだらけだ。

だから、「噂」という時間を積み重ねて他人が飽きるまでやり過ごさなければならない。


しかし、「自分始動」であればこの定義は大きく覆ることになる。
若くして結果を得た子に話を聞いてみるとやっぱりこの傾向にある。

中学受験で成功したある後輩は「塾でお菓子を食べるのが楽しくて通っていた、気がついたら合格していた」学生時代、全てのカテゴリーで全国大会に出たテニス選手の子は「壁打ちが楽しくて、ほぼ毎日、気がついたら4時間も6時間もしていた」・・・

「没頭すること」そして、気がつくと「時間」が過ぎてしまっていることが「結果」につながるのだと思う。

何時間、何か月、何年やっても「結果」がでないと嘆く人の多くは必ず時間の概念がその価値観の崇高な場所にある。
まず、この考え方を変えなければなにも得ることができないと初老の今となって理解できた。
勿論、上手くいっている人はこの限りではない。

こういうときは「質」を求めていくのも良いかも知れない。

60人に先生1人だと実質1時間で「1分」の質だとする。
10人で1人の先生だと「6分」
5人で「12分」
1人で「60分」

これに指導者の熱量が加わり乗数となる。
「やる気スイッチ」「自己肯定感」「聞き上手」「良い雰囲気」などのスキルがある指導者であれば今度は受け手側に伝染する、そしていつのまにか「伝播」します。

間違った方向にすすめばマイナスや割り算になることもあります。

「抜けない癖」や「間違った理論」などはこの要素を満たします。

本当の時間の概念は「質」を踏まえた「高尚な抽象空間」のことなのだと思います。

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