信じるものに救われる、信じるものは救われる

信じる人と信じない人を決める。

もっと深く掘り下げていけば信じることのできる人と信じることが疑われる人これを分けていくことが大切です。

例えばすごく破天荒で傍若無人なように見えても収拾がついているような人、どんなに当たり障りのいいことを言っていても結局血を持てない人、他人に転嫁してしまう人、昭和の言葉で言えば度胸のない人、愛嬌のない人が該当すると思います。

例えばAと言うことを強く言っていたとします、でも実際に次会ったときにBと言うことを言ったとします、テニススクールにおいてコーチのアドバイスが間逆だったと感じる事は少なくありません。

しかしながらこのAとBの間にきちんとした理由付けや定義、なぜそのように至ったかのかがしっかりと説明できるようであれば何ら問題はありません。

1つの物事も視点を変えれば似て非なるものだったり、まるで同じようなものだったり感じることができます。

つまり、この2つの正反対のものを結びつけることができれば、「信じることのできる人」と言う定義付けの1つとなります。

また、一般的にこうだとされていることや、自分の思いの中でこうだと思っている事象を混同して発言してしまう人には注意が必要です。

もちろん受け手側も頭でっかちでは意味がありません。

「人」が「言う」こと→人言→信

信じるべきものを見極める力大切になってきます。

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