人間は、コミュニティなしでは生きていけない存在です。この傾向は、遺伝子レベルで深く刻まれています。人類の歴史を振り返ると、私たちは家族や村、集落といった小さな単位で協力し合い、生存してきました。
この協力の姿勢は、無意識レベルで他者と共に生きることを求める性質を持つようになったと考えられます。つまり、私たちは「他者とのつながり」を通じて自己を認識し、自己の存在を確かめる生き物です。人と人が関わり合うことで、自分が存在しているという感覚を得るのです。
アリストテレスの言葉「人間は社会的動物である」は、この本質をよく表しています。彼は、個人が社会から切り離されると人間らしさを失い、真に人間であるためには他者と共に生きる必要があると述べました。
私たちは他者の存在を通じて自己を確認し、自己を客観視します。他者との関わりがなければ、自分自身を外から見ることは難しく、真の意味での自己理解は得られないのです。このような視点から、人間がコミュニティを必要とする理由が見えてきます。
また、コミュニティの「エフィカシー」(効果的な機能を持つ能力)の高さや低さが、個人の幸福感や自己認識に大きく影響を与えます。
例えば、悪口や批判、自慢話ばかりのエフィカシーの低いコミュニティでは、自己肯定感が低下し、精神的な疲労感を感じやすくなります。
このようなコミュニティでは、若い世代であっても、生きるエネルギーが失われがちです。逆に、相手への思いやりやポジティブな会話、互いの夢や目標を語り合うエフィカシーの高いコミュニティでは、メンバーの自己肯定感が高まり、どの年齢層でもやる気が湧いてきます。ポジティブなフィードバックやサポートがあると、オキシトシンなどの幸福ホルモンが分泌され、心身の健康に良い影響を与えます。
進化心理学の視点から見ると、人間が生き残るためには他者と協力することが不可欠でした。情報や食料を共有し、危険を回避するために協力し合うことで、私たちは過酷な環境を生き延びてきました。この協力の仕組みが、私たちの遺伝子に組み込まれ、他者と共にいることを求める性質を生み出したのです。このため、現代においても、私たちは意識的にであれ無意識にであれ、コミュニティに属することを望みます。そして、そのコミュニティの質が、私たちの幸福感や生きる活力に直接的に影響を与えるのです。
このことは、テニスというスポーツにも当てはまります。仲間の勝利や良いプレーに拍手を送ることができる集団は、チームとしても成長し、より良い方向に進んでいくでしょう。本人のみならず、その指導者や家族までもが本人以外の成功を素直に喜べる環境は、エフィカシーの高いコミュニティを形成し、メンバー全員の自己肯定感を向上させます。
逆に、自分が勝ったときだけ機嫌が良く、負けたときには不機嫌になるようなコミュニティは、自己中心的で成長が止まりやすいものです。こうした環境では、自己肯定感は低く、やる気を失いやすいでしょう。さらに、SNS上で見られる子供への過剰な期待や評価も、コミュニティの本質から逸脱しているといえます。外部からの評価に依存することで、真の自己成長を見失う危険があるからです。
また、コミュニティにおける「ネームバリュー」も考慮すべき点です。特にテニススクールのような組織では、名前の知名度だけでなく、そこに所属するスタッフや指導者の努力と協力が重要です。どれだけ優れたネームバリューを持つスクールであっても、実際に組織を支える人々の努力がなければ、その価値は長続きしません。現場の立場から見ると、組織の活気が失われるタイミングで、過去の評価や賞賛が聞こえてくることがありますが、それは単なる「栄光の過去」に過ぎません。組織のエフィカシーを高めるには、日々の実践とコミュニティ内でのポジティブな関係が不可欠です。