素直な自分で生きることの大切さ

先日、学生時代の友人と約20年ぶりに再会した。

それは私にとって非常に大きな意味を持つ出来事だった。

お互いに社会に出て、理不尽なことや多くの困難を乗り越えてきた経験を持つ者同士、再び顔を合わせた時に感じたのは、言葉にはしがたい安心感だった。

若い頃には気づかなかった「思いやり」や「気遣い」の感覚が自然と心に湧き上がり、そこには損得勘定や利害関係といったものは一切存在しなかった。ただ一緒に時間を共有し、共に過ごしたという過去が、無償の信頼感を作り上げていたのだ。

この再会を通じて、私は自分の本当の気持ちに向き合うことの重要性を再認識した。20年という時間が過ぎる中で、多くの場面で無理をし、自分を偽り、何かを得るために自分を犠牲にすることがあった。

しかし、その友人と話している時、私は何も着飾ることなく、ただありのままの自分でいることができた。

これは、社会に出てからはあまり経験しなかった感覚だった。大人になると、どこかで「他者の期待に応える」ことが求められる場面が多くなり、自分の本当の気持ちを抑え込んでしまうことが少なくない。

しかし、この再会を通して、「素直な自分でいること」の価値が再び芽生えたのだ。

勿論、経験値として「無理をする」場面は訪れなければならない。人生において挑戦や困難は避けられないものだ。

しかし、その時に無理をした自分をきちんと褒めてあげること、そして何より無理をした自分に気づくことができなければならない。

気づかないままでは、心と体に蓄積された負担が知らぬ間に私たちを苦しめることになってしまう。自分に正直であるということは、自分の限界を理解し、その瞬間を評価し、次のステップに進むために休息やリフレッシュを取り入れることでもある。

プライベートでも、無理をしてストレスを抱えることが多くなることもあるだろう。

周囲の期待や世間体を気にし、必要以上に自分を抑えてしまうことがあった。

しかし、友人との再会をきっかけに、「無理をしてまで人に合わせる必要はない」という気づきが強く生まれた。

自分を偽ることなく、正直な気持ちで過ごすことで、心に余裕が生まれ、その結果として人との関係も自然なものになる。無理をしないことで、私自身が心地よくいられることが、結局は他者との関わり方にも良い影響を与えるのだと感じている。

幸せを感じることができない人は幸せを分けることができない。

相談してもネガティブなことを返してくる人からは建設的な未来は見えてこない。

また、この気づきは仕事にも大きな影響を与えた。これまで私は、仕事においても我慢を重ね、必要以上に自分を追い込んでしまうことがあった。

しかし、再会を経て、自分の限界やストレスの境目を理解することができるようになった。無理をしすぎず、我慢もほどほどに、心身のバランスを保ちながら取り組むことで、仕事への集中力やパフォーマンスも向上する。私にとって、これは大きな変化だった。

最も大きな気づきは、「本当に自分がやりたいことに素直になる」という点だ。これまで、社会の中で求められることや周囲の期待に応えることを優先してきたが、それはしばしば自分の本音を犠牲にする結果となっていた。

しかし、友人との時間を過ごす中で、私は「自分の素直な気持ち」にもっと耳を傾けることができるようになった。偽りのない自分でいることが、人生においてどれほど重要で、心の平穏をもたらすかを実感したのだ。

この気づきは、これからの人生においても大切な指針となるだろう。無理をせず、素直な自分で生きること。それは時に難しい選択かもしれないが、長い目で見れば、心地よく充実した人生を送るためには不可欠なものである。

再会が教えてくれたのは、自分の本当の気持ちを大切にし、それに従って生きることが、結果的に最も豊かな人生をもたらすということである。

テニスでも悩んだ時、その悩みは本当に自分の「素」の言葉なのか?

振り返ってみても良いのかも知れない。