「怒る」と「喜ぶ」は表裏一体

喜怒哀楽という言葉があるように、喜びと怒りは表裏一体の関係だと感じます。日常の中で、喜びを感じるときには、その裏に期待や願いが隠されていることが多く、逆に怒りを感じるときには、その期待が裏切られたという感情が存在します。


たとえば、信頼していた友人や家族が自分を傷つけたとき、失望感と共に強い怒りが生まれることがあります。それは、自分の中にその相手に対する大きな期待があったからこそ生じる感情です。このように、怒りと喜びは対立しているようで、実際には密接に結びついているのです。


しかしながら、怒りが多角的に正当でない場合、同様に偽りの喜びが訪れるように思います。例えば、自分のエゴから生まれた怒りに基づいて行動し、一時的に目標を達成したとしても、その後に得られる喜びは浅く、心の奥底に残るものではありません。瞬間的な満足感があったとしても、それはすぐに消えてしまうのです。このような偽りの喜びは、怒りの源が他者のためではなく、自分の利益や感情の発散に偏っていたときに多く見られます。


このため、怒りを感じたときにすぐに反応せず、一呼吸置いてみることが重要です。7秒間我慢するというアンガーマネジメントの方法は、この一瞬の間に自分の感情を見つめ直し、それが本当に正当なものかどうかを考えるためのものです。この時間を使って、自分の怒りが誰かを守るため、あるいは助けるためのものなのか、それともただ自分を正当化するためのものなのかを判断できるようになります。もしその怒りが他者を守るためであるならば、その後に得られる喜びは、単なる感情の発散によるものとは違い、深く心に残るものになるでしょう。


たとえば、親が子供を守るために注意をする場合、この考えが当てはまるのであればその怒りは一見すると厳しいように見えますが、最終的には子供の成長や安全を願う気持ちから生まれています。こうした怒りの後に得られるのは、子供が成長し、危険を避けるようになることへの喜びであり、それは親としての大きな達成感や満足感をもたらします。このような怒りは、自己中心的な感情とは異なり、長く心に残るポジティブな感情へと変わっていきます。


一方で、このような喜びを求めて怒ること自体が目的になってしまうのは避けるべきです。「情けは人のためならず」という言葉があるように、他者への優しさや思いやりが、結果的に自分にも返ってくるという考え方が大切です。怒りを感じる際も、それが自分の利益のためではなく、誰かを本当に守るためのものかを見極めることが求められます。そして、その結果として得られる喜びは、あくまで自然に生まれるものであり、計画的に得るものではありません。意図的に求めてしまうと、純粋な感情が失われ、本来得られるべき充実感が薄れてしまうからです。


最終的に、怒りも喜びも、私たちの感情の一部として大切に受け入れるべきものです。それらを理解し、コントロールすることで、自分自身の成長を促し、他者との関係も豊かにしていくことができるのです。喜びを感じるために怒りを我慢するのではなく、他者を思いやる気持ちから自然と生まれる感情を大切にすることが、本当の意味での心の豊かさにつながるのではないでしょうか。


「喜」が訪れてもすぐに消えてしまったり、感覚が鈍くなり幸せを感じない人は、この「怒」が偏っているからに他ありません。日々の中で自分の怒りの源を見つめ直し、他者への思いやりや自己の内省を深めることで、喜びもまた豊かに感じられるようになるでしょう。


そして、これはテニスをしている人たちにも通じることだと思います。コートの中で悔しさや怒りを感じる場面はたくさんあるでしょう。でも、その怒りをどう受け止め、どう活かすかで、その後の成長が変わります。試合でのミスや思い通りにいかない場面も、冷静に受け入れて次につなげることで、勝ったときの喜びが何倍にも増します。プレーの一つひとつが自分の成長につながることを信じて、次の一球を大切に打ちましょう。どんな小さな一歩でも、積み重ねれば必ず大きな成果に結びつくはずです。