「自己欺瞞・自己革新」

 人間は自分よりヤバい人間を見つけて、自分がマシだと思いたくなる生き物だからね。

極端な言葉ですが、人はしばしば他人を馬鹿にしたり、笑ったりすることで、自分がまともだと感じることがあります。

この現象は学問やスポーツにおいても見られ、上に行けない人ほど、この傾向が強いように思います。なぜ人間はこのような行動をとるのでしょうか?

心理学的に見ると、この現象は「比較の罠」に関連しています。人間は他人と比較することで自分の価値を見出そうとする傾向があります。

特に自尊心が傷ついているときや、自信が揺らいでいるとき、人は自分より下だと思える人を見つけ、その人と比較することで一時的に安心感を得るのです。

これは自己防衛の一種であり、自己評価を保つための手段といえます。

例えば、職場での競争や学校での成績争いにおいて、自分が上手くいかないときに他人の失敗を見て安心することがあるでしょう。テニスの試合やポイント練習において相手の凡ミスで喜んでしまうのも同義です。

しかし、このような行動には大きなリスクがあります。人は同じような考えを持つ者同士で集まる傾向があります。

そのため、他人を見下すことで一時的に安心感を得たとしても、長期的には自己肯定感が下がり、ポジティブな影響が低下してしまう恐れがあります。

例えば、職場で常に他人のミスを指摘してばかりいると、自分の成長が停滞し、やがては周囲からの信頼も失ってしまいます。
相手の凡ミスを鬼の首をとったように喜ぶこともエフィカシーの低さを招いてしまいます。

結局のところ、他人と比較して自分を優位に感じることは、根本的な問題解決にはならないのです。

一方、自分より優れた人を見つけた場合の行動や感情についても考えてみましょう。

自分より上手な人や知識豊富な人を見ると、人はしばしば嫉妬や劣等感を感じます。

しかし、これを成長の糧にすることもできます。優れた人と接することで、自分の欠点や改善点が見えてきますし、彼らから学ぶことも多いでしょう。

例えば、スポーツの世界では、トップ選手と一緒に練習することで自分の技術を向上させることができます。

特にスポーツ界では、トップ選手たちは技術だけでなく、強い精神力や優れた人間性も兼ね備えていることが多く、彼らと接することで技術的な成長だけでなく、精神的な成長も期待できるのです。

何もトップ選手にかぎらす小さなコミュニティーでも条件が当てはまる人がいると思います。

学問の世界でも、優秀な研究者と議論することで新たな視点や知識を得ることができます。

そして、多くの優秀な研究者は知識だけでなく、倫理観や協力的な姿勢も持ち合わせているため、彼らから学ぶことは非常に価値があります。

このように、上を目指すことで得られるポジティブな影響は計り知れません。

自分より優れた人と接することで、自分の可能性を広げ、成長することができます。

逆に、下を見て自分を安心させる行動は、一時的な満足感しか得られず、長期的には成長の機会を逃してしまうことになります。

さらに、この現象は社会的な影響も考える必要があります。

社会全体が他人を見下す風潮に染まると、健全な競争や協力が失われ、ネガティブな影響が広がる恐れがあります。

例えば、職場や学校でのいじめやハラスメントは、このような比較の罠から生じることが多いです。

人々が他人を見下し、嘲笑することで自己満足を得ようとすると、健全なコミュニケーションや協力が失われ、全体の士気が下がります。

これに対して、他人と協力し合い、学び合う風土を築くことが重要です。

自分より優れた人を尊敬し、その人から学ぶ姿勢を持つことで、個人の成長だけでなく、社会全体の発展にも寄与することができます。

例えば、職場でのメンター制度や学校でのグループ学習は、このような協力と学びの文化を促進する手段です。

まとめると、人は自分よりヤバい人を見つけて自分がマシだと思いたくなる傾向がありますが、これは短期的な安心感に過ぎず、長期的な成長にはつながりません。

逆に、自分より優れた人を見つけて学ぶ姿勢を持つことで、自己成長やポジティブな影響を得ることができます。

人間関係の中で他人との比較をどのように活用するかが、自己成長の鍵となるでしょう。

自分の成長を促すためには、他人との比較をネガティブなものではなく、ポジティブな学びの機会として捉えることが重要です。

独立不羈!