子供の頃の役割は大人になっても変わらない

子供の頃に与えられた役割や人との関係性は、大人になっても変わらないと感じたことがある。

学級委員や部長、副部長、各委員会やその委員長、先生に依頼されるお手伝いや先輩後輩の人間関係――これらの役割や関係は、成長してもそのまま続くものだ。

たとえば、学級委員を任された人は、自然とリーダーシップを発揮する傾向が強くなるし、クラスで静かに過ごすことが多かった人は、社会に出ても控えめな態度を取りがちだ。

では、あまり目立たない人は大人になっても存在感をアピールできないのか?そうではないと僕は思う。

実は、人と人とがつながっている限り、誰しもが誰かの役に立っている。

問題点は「背伸び」をしたり、「自分らしさ」を間違った形で露呈しているからだと思う。

自分の良さをどこに見つけられるか、それが分岐点になるだろう。

例えば、僕はある一定の期間目立つことがあったが、そうでない時期も多かった。

しかし、1つ振り返ってみて思う事は、本音で話せる信頼できる仲間を自然と見つけていたことだ。

その時は深く考えていなかったが、一緒にいると楽しくて、何も考えずに話せることのみに重きを置いていた。

また、「なんで僕に相談するのだろう」と思うような、確信に迫った話題を相談されることも多かった。

少なくとも、自分らしくあろうとすることで、何かを引き寄せる人生の法則的なものがあったに違いない。

しかし、一方で、自分をよく見せようとしたり、格好をつけて偽ったりすると、誰も何も言ってこなくなってしまった。

自分だけが良い思いをしようなんてのはもっての外だ…。

現在の自分がこのような人格を形成したのも、ゲシュタルトの崩壊と再生の繰り返しなどだと思う。

具体的に言えば、子供の頃に他人の面倒をよく見ていた人は、成人後もそのまま人の世話を焼くことが多い。

逆に、あまり社交的でなかった人も、大人になってから急に社交的になるわけではない。

ただし、大人になると選択肢が増え、自分の居場所や役割を選べるようになる。

例えば、社交的でなくても、趣味や興味を共有するコミュニティに参加することで、居心地の良い場所を見つけることができる。

子供の頃に目立たなかった人も、自分の特技や興味を見つけ、それを磨くことで、大人になってから存在感を発揮することができる。

例えば、絵を描くのが好きだった人が、その才能を磨いてアーティストとして活動するようになったり、料理が得意だった人が料理教室を開いたりすることがある。要は、自分の良さを見つけ、それを活かす場所を見つけることが重要なのだ。


結局のところ、子供の頃に培った役割や人間関係は、大人になっても根本的には変わらない。

しかし、自分らしさを見つめ直し、本音で生きることで、自分の良さを引き出し、周りとのつながりを強めることができるのだ。

大切なのは、他人にどう見られるかではなく、自分がどう感じ、どう生きたいかを見つけること。

子供の頃の経験や役割を活かしつつ、新しい自分を見つける旅は、大人になってからも続くのだ。

テニスのプレースタイルや上達過程でもきっと同じことが言えるに違いない。

日々自分らしく精進!