ルーティンワークの落とし穴

イチロー選手が有名になり始めた頃、その「ルーティーンワークの大切さ」といったものにフォーカスされた本や記事が一斉を風靡しました。

この私も30歳半ばで、ようやく自分自身のルーティーンワークを少しずつですが、変化をさせつつ確立することができました。

しかしながら、このルーティーンワーク実は大きな落とし穴があることに最近気づきました。

もちろん最低限続けるといった行動は前提となります。

例えば私はインストラクターとして、体重管理、体脂肪管理、体力管理、知識のアップデートなどは言わずもがなやらなければなりません。

ルーティンワーク自体は非常に素晴らしいものであり、何かを成し得たいと思ったり、何か大きな目標や目的があったり、そうでなくても、人生を有意義に過ごすためには、必要不可欠なものだと強く感じます。

ではルーティンワークの何がいけないのか?

それは「今、この瞬間に集中しているか」と言うことです。

嫌だなぁと思う事はもちろん仕方がないことだけれども、今やっていることにしっかりと集中できているか。

日常の動作ではなんとなくコーヒー入れてパンを食べて、テレビをつけて、歯磨きをして…もちろん、ご飯を炊いて、納豆を食べて、卵をといてる場合でもです。

この一連の動作が単なる流れ作業になってしまうと、本来得られるはずの充実感や満足感が薄れてしまいます。

毎日の動作は繰り返すことで、ほんのちょっとした気づきや疑問や問題点があったりします。

例えば、いただきますの挨拶やごちそうさまの挨拶、ありがとう、ごめんなさい、おいしいなどなど、口にして言うこと自体は大切ですが、本当に心がこもっているかどうか?

この「気づき」は、日々のルーティンを単なる習慣ではなく、意味のある行動に変える力があります。

小さな気づきが積み重なることで、自分自身の成長や新たな発見が生まれます。

私の場合はテニスのレッスンがメインですが、そのために体力づくりをしていたりするのに、レッスン自体が疲れて少し辛いものになってしまう、いつもの自分が発揮できないなどといった場合は、多少トレーニングメニューを緩めてでも他の効率の良い可能性を考えたりしています。

また、レッスンメニューが自分自身で「つまらない」と思った場合は、少しだけメニューを変える、もしくはそのつまらないといった内容は一体何なのか?

個人的な飽きからくるものなのか?

それともそのメニューをやっている意味の本質を理解しているのか?


このように、新しい発見や問題点に対して柔軟に対応し、改善を試みることが重要です。

ルーティンワーク自体が結果として、日常生活を生き生きとしたもの、有意義なもの、楽しいものにできているかどうか?   

これも非常に大切になってきます。

ダラダラグダグダ過ごすことよりも、きびきびらそして少し疲れる位が人間の脳には良いとされています。

例えば、運動や知的活動は脳の機能を活性化させ、ストレスを軽減し、全体的な健康状態を向上させると言われています。

科学的な研究でも、定期的な運動や新しい挑戦が脳の可塑性を高め、長期的な認知機能の維持に寄与することが示されています。

ルーティンワークは確かに大切であり、日常生活や仕事の中で役立つものです。

しかし、それが単なる流れ作業となり、気づきや新しい発見を見逃すような状態になってしまうと、その効果は半減してしまいます。

常に「今、この瞬間」に集中し、一つ一つの動作に意味を見出し、必要に応じて改善を図ることで、ルーティンワークをより有意義なものにすることができます。

そうすることで、日常生活が生き生きとし、楽しく、充実したものになるのです。

ルーティンワークのさらにその先へ

plus ultra!!