本気でテニスを上達するなら…

テニスの試合を見ると、ボールを打ち合うアクティブなプレイ時間は全体の約35%にすぎません。

残りの65%は、次のポイントの準備と回復に費やされています。

この事実は、スポーツだけでなく仕事や学習においても重要な示唆を与えます。

特に日本社会において根性論が持つ影響を考える時、この「準備と回復の時間」の重要性が見過ごされがちです。

日本では長時間労働と粘り強い努力が美徳とされることが多いですが、それが必ずしも効率的で健康的な働き方や学び方に繋がるわけではありません。

対話形式で進められた議論では、根性論が個人の健康や社会全体にもたらす潜在的な負の影響が指摘されています。

根性があるからといって成功するという考え方は、時として過度なプレッシャーとなり、身体的、精神的な健康を害することがあります。

実際、多くの成功者はその過程で何度か身体を壊し、その後に初めて、根性だけが全てではないことに気付かされるのです。

さらに、資格取得や継続的な努力が評価される文化は、努力自体を目的化してしまう傾向があります。


カフェで資格の勉強に励む人々を見ると、彼らは自己実現を求めているように見えますが、実際は社会が定めた「正しい努力」をこなしているだけかもしれません。

このように、目の前の課題に取り組むことが、自動的に価値ある行為とされる社会では、真の意味での成長や創造性は育まれにくいのです。

一方で、スポーツサイエンスの進展により、トップアスリートが成功するためには、ただひたすらに練習するのではなく、適切なリカバリーが重要であることが明らかになっています。

また、本人が思いを巡らせたり、興味のある技術を自分なりの解釈で試行錯誤してみたり、好きな選手の試合からインスピレーションを得たりする時間も日々の生活における75%とも言えるでしょう。

ポイントとポイントの間で効果的に心身共に回復する方法を知っているアスリートほど、長期にわたって高いパフォーマンスを維持できるのと同じように日々の練習やレッスン外にも同様のことが言えるでしょう。

この事実は、根性論が推奨する「努力し続けること」が必ずしも最良の策ではないことを示唆しています。

つまり、私たちは根性論に代わる新しい価値観の必要性に直面しています。

それは、持続可能で健康的な努力の形を見つけ、個々人の幸福と社会全体の生産性を高めることです。

そのためには、仕事や学習の効率をただ高めるのではなく、どのようにして継続的に回復し、学び、エネルギーを再生するかに焦点を当てる必要があります。

日本社会が真に持続可能な成長と個人の幸福を実現するためには、根性論を超えた新たな労働観や学びのアプローチを模索し、それを広く社会に浸透させることが求められています。


このようにして、私たちは「頑張る」ことの新しい意味を見出し、健康で満たされた生活を送るための道を探求することができるでしょう。

根性論がもたらす短期的な成功や満足感にとらわれるのではなく、長期的な幸福と成長を目指すべきです。

この議論を通じて、私たちは根性論の限界を理解し、それを超えるための方法を考え始める必要があります。

日々精進。