ポジティブ思考のバランス「眼」を養う

ポジティブである必要性を感じる事は多々ありますし、人間この世に生まれてきたからには、誰かの、何かの役に立つべき存在だと言われています。

大きなことばかりではなく、小さなこと、本当に悩んでいるときに手を差し伸べてあげる、四方山話で盛り上がることさえもこの限りだと思われます。

テニスで良いプレー、良いボールが打てたと言うこともポジティブの壌土となることだと思います。

たとえ上手くいかなかったとしても、上手くいくために努力をする過程でもこれは違うことができます。

提供する指導者の役割も重要となってきます。

日常生活においてもこの定義は崩れることがありません。

ここにおいて、アリストテレスの哲学を踏まえたポジティブの考え方と現代的なポジティブの捉え方には確かに違いがあります。

アリストテレスによれば、ポジティブであることは、美徳の中庸を見つけ、実践することに関連しています。

つまり、自己改善と他者への配慮のバランスを取りながら、内面から湧き出る真の幸福を目指すことです。

これは、自分の行動や思考が理性的であること、そして他者の福祉を考慮に入れることに根差しています。

無論、ポジティブに振る舞っているような人でも自慢話や昔話、説教じみたものは偽物だと言うことを理解しておく必要があります。

相手にプラスの情動を与えなければポジティブではありません。

そして一方で、私たちが今日話しているポジティブな態度は、より感情的で即時の幸福感に重点を置いているかもしれません。

これは、日常の小さなことから幸せを見出し、困難な状況においても希望を持ち続けることについて言及しています。

現代のポジティブさは、主に個人の感情や心の状態に焦点を当て、自分自身や他人を励ますことによって、一時的な満足や幸福を求める傾向があります。

アリストテレスの時代と今日とでは、ポジティブさの定義やその適用に違いがあるかもしれませんが、その根底にあるのは、より良い生き方、より幸福な社会を目指すという共通の目的です。

彼が強調するように、ポジティブであることは内面からの成長と外向きの行為のバランスを見つけることを意味します。

現代においても、これは変わらず、私たちのポジティブな態度がどのように他者に影響を与えるか、そして私たち自身がどのようにそれを実生活に適用するかが重要です。

結局のところ、ポジティブであることは、自分自身と他人の生活をより良くするための手段となるべきです。

それは、個人の幸福と社会全体の幸福の間の橋渡しとなり、私たちが直面する挑戦を乗り越え、成長する手助けとなるでしょう。

日々精進。