愚直な人生

最近、僕は「愚直」という言葉がとても好きになった。

愚かなまでにまっすぐで、要領が悪くて気がきかないようなネガティブなイメージで捉えがちだったけど、結果として立派な大人になっている人たちが多いことが続いた。

意味を調べてみると…
◯ぐ‐ちょく【愚直】 〘名〙 (形動) 知恵がなく正直一途(いちず)で、臨機応変の才がないこと。 また、正直すぎて気がきかないさま。 ばか正直。


やはり、一見ネガティブなイメージで捉えがちだ。

しかし、そもそも知恵と言うものは、知識を得て初めて試行錯誤送付することによってのみ「知恵」として還元されていく、身に付いていくものである。

臨機応変も要領を得てないものが、適当にやってしまっては「たろうの怠け癖」になってしまいがちだ。

正直すぎて気がきかない、ばか正直、これらもあまり良くないイメージにとらわれがちだ。


しかし、社会人になって20年と少し過ぎて見ると、愚直な方が、結果として人生を楽しく過ごしているように思える。


例えば、めちゃくちゃやんちゃな子がいた。
学校でも、いわゆる問題児、ありとあらゆる悪事を働いてことあるごとに「その日の出来事」を話してくれていた。

決して褒められたことをしているわけではないけれど、彼なりの正義があった。
だから集団で誰かをいじめたり、立場の弱い人間を高圧的な態度で抑圧することは決してなかった。
むしろ、そう言う輩を屠り去るような彼の中の正義の矜持があった。

テニスもしていたがバカな話はしていても取り組む態度は普通の子よりも真面目。
彼のお母さんからサッカーをやると言って一式揃えた途端に「つまらない」と言って辞めた話を聞いた時には耳を疑ったほどだ。

大人になった今でも色々なことにチャレンジしているみたいで、体を鍛えることと難易度の高い山の難関コースを制覇しているようだった。


週1でスクールに来ていた子が10年近く続けてくれていて、その子もやっぱり、20歳そこそこで「やりたい道」を模索して全てのしがらみを断ち切って己の道に邁進したこともあった。
マイペースだけど10年続ける気力と胆力、自己目的の落とし所が人生においても達観していたのだと思う。


つまり、「愚直」であることこそが唯一の自己研鑽のあり方なのだと思う。

自分がやりたいから例え不器用でも、バカだと言われても壁にぶつかりつつも周りを気にせず一心不乱にやり抜いていく。

だからこそ、自分の「眼」を通して学んだ経験こそが自己肯定感を育み、自身の人生を有意義なものにしていくのだろう。

そして最近思う事は、歳を重ねても「愚直であれ!」ということ。

自分発信で、自分自身の人生と向き合うことが最大の幸せなのかもしれない。