お墓参りの先にあるもの

先日しないなんていうの社長にお付き合いいただき、お話をさせていただいた時に「何か日常生活炎かけていらっしゃることありますか?」と尋ねたところ、少し考えながら「ご先祖様のお墓参り」をする大切さをこの年になって、初めて心から腑に落とすことができました。

その理由は「ご先祖様を大切にして損をする事は無い、昔からそうやって必要とされているものはもらっておいて良いのではないか?」といったものでした。


祖父のご先祖様のお墓がもともと大分県にあり、私が中学生の京都のお寺に移動させると言うことが決まりました。

当時元気だった祖父が「私が死んだらお墓ちゃんと参ってや!」と口癖のように言ってました。


当時は、内向的な性格をすれば、外向き的な性格をすることができるのかと言うことばかりを考え、自分のことで精一杯だった僕はその言葉の真意をつかめずにました。


昔から弟の方が生真面目で貯金も勉強も、コツコツと亀より遅いと兄に馬鹿にされつつ、その堅実さと誠実さを積み重ねていきました。

私が東京の大学に単身上京したこともあるのでしょうが、ひっきりなしに弟に「お墓よろしく頼むよ」と言われていたようです。


ブログを読んで年数が経つ方は、僕らの兄弟が30歳前後までは最悪だったことをご存知だと思います(笑)

独身でやりたい放題やり地獄の馬鹿な兄貴と、当時の結婚適齢期で家族を築いて安定した職業についた弟が、お互いの考えを受け入れるわけがありませんでした。


私自身は、30歳を超え、テニスの道に邁進していましたが、多くのテニスで活躍されている有名人に会うことができ、もっと大きな意味での世界を学ぶ必要があると痛感させられました。

特に、日本以外で出会ったテニス関係者の方々は世界観が違いました。

そんな中、興味のある事は自分なりに調べて学ぶことを繰り返すようになりました。


そして、昨年祖母が亡くなり、45歳を迎えて、社労士さんと介護保険の支払いについて話したときに「片足突っ込んでるな」と感じるようになりました。


必要なものは、必ず、他人の口を通じて、天からの言葉のように、私に届きます。


そういう星の巡り合わせなのでしょう。
たまたま彼の口から発せられる言葉、もっと大きな力が冷えるように感じました。

僕がテニススクールを手伝わせていただいて、崖っぷちの絶賛悩み中だった頃に背中を押してくれたこともあり、そしてそれが彼の言葉通りになったことから、まさに、神様のお告げのような気がしたのかもしれません。


最近はまたルーティンワークが増えました。
もちろん消えていくものもありますが、トータルすると少しずつ増えてきます(笑)


弟はもっと早くから率先してお墓参りをしている頭が下がります。

ご先祖様を大切にすると言う事、生まれが京都と言うこともあり、毎月は難しそうですが、2回、3回は手を合わせに行こうと決心しました。


そもそも、人間がどのようにして、このような世界に生まれたかすら明らかになっていません。

60億年後には地球は熱くなりすぎて、人間が生存できないと言われています。

あの伝説の、漫画家アニメーションのパイオニア、手塚治虫さんが「火の鳥/単行本2巻」で描かれた世界と全く同様になるのかもしれません。

何十年も前にこの最近あったことを予言されているかのような手塚先生は恐ろしい位先見の明があるのかもしれません。

いかんせん、死後の世界がどうあるかわからない、自分のテニスがどこまで上達しているかわからない、どちらも同じ精神世界に帰結するのだと思います。


不思議なことに30分弱のお墓参りでも、一通りの儀式が終わり手を合わせて目を瞑ることを終えた後には1種の心地よさと恍惚さの余韻が訪れます。


人生って実に不思議、そして便利になりすぎた今だからこそ原点回帰する必要があるのかもしれません。