〇〇さんが〇〇って言っていた、私〇〇だと思うんだよねの違い

テニスのみならず、生きていく上で「噂話」と言うものは絶えず繰り広げられます。

狩猟民族の頃、10歳までの人間の半数が命を落としたと言われています。

噂話のルーツは、太古の昔から「人が生きる上での知恵」として、実は遺伝子レベルで刻まれていたようです。

噂話が好きで、噂だけで、生きている人も存在します(笑)

いろいろと惑わされることもあります、もちろん、私がコーチを始めた頃は、あることないことを罵詈雑言のように浴びせられました。

もともと陰キャラだったので、ある程度耐性ができていましたが、やはり自分が1番信頼している、頼りになると思っている人が〇〇と言っていたと言われると、正直凹むことがありました。

しかし、実際はそうだったりそうでなかったりと、こんなところで心を逡巡させられると、レッスンに身が入らないと思い、少し考えを巡らせてみました。


①〇〇さんが〇〇って言っていた
→これは捨ておくことにしています。言葉の先に責任の所在がないからです。そしてこういった人たちは、負のオーラをまとって共に「共倒れ」してしまう恐れがあるからです。美輪明宏の言葉を借りると「悪魔族」にカテゴライズされます。

最近、尊敬している知人と話をするのですが「負のオーラには近づかない」ことが大切で、できるだけ「ポジティブな情動」に近づくようにします。

人によっては引っ張られる人もいます。
仕事の上では、いろんな人がいるため、なかなかこの関わりを断ち切ることが難しいと思いますが、気にしないように心がけると運気がアップすると思います。


話をされましたが、次に…

②私は〇〇だと思うんだよね
→この場合は、正直、自分にとってあまり嬉しくないことも伝わってしまう可能性がありますが、私はと自分自身の意見として伝えてくれているので「責任」はその相手に所在します。
ですから、自分の考えと違っても「こういう風な見方や考え方があるんだな」程度に頭の片隅に留めておいておくと良いでしょう。

自分に対して言われてることであれば、そーゆー見方もあるんだと思い、心当たりのあるところは新住所留めれば良いと思います、そうでない所は気にしなくても良いと思います。

他人に対して述べていることであれば、信憑性の有無に問わず、心の片隅に留めておいて、その内容が自分の心にポジティブに働く方向の時にその言葉を信じたり、信じなかったりすると良いと思います。



テニスの上達1つ、とっても趣味のレベルで、こういった心の葛藤は多くあります。

いわんやをや、学校や、近所関係はなおさらのことだと思います。

誰かのせいで、いちいち疲れてしまうのももったいないなぁと、立場が変われば考え方も変わりますし、状況は常に千変万化していくと思います。

関わる人数が増えれば増えるほど、その可能性は大きくなってきます。


人の噂も75日…


子供たちが学校生活の中で逡巡し、思春期特有の心のSOSを20年間、喜怒哀楽を受け止めた結果の処方箋の1つとして考えた1日でした。