経験値は多い方が良い

おはようございます。
僕が尊敬する仲間の1人が「経験したことがないものは、人に語る(諭す)事はできない」と10年ほど前につぶやいてくれました。

つぶやいたと言うのは、おそらく本人は覚えていなくて、心のそこから出てくる「経験値を感情で表した一片」なのだと思います。


当時の僕は「そんな事はないだろう?」と思っていましたが、時を重ねていろいろな事件とともに昇華していくたびに、この言葉の真意を学ぶことができました。

誰かに頼りっぱなしの人はいつまでたっても「腰巾着」、自分のことだけ主張して、周りに気を使わせてしまう人は「お山の大将」、常にすべてを何かのせいにして現実から目を背ける「逃げ癖のある人」…

昭和から平成にかけてはこういった人たちに向けられる言葉や行動での「実力行使」がありました。

このこと自体はよくありませんが「周りからの評価を現実的に知る」と言う点ではとても大切な経験だと思います。

周りが気を遣っているのにも関わらず、どんどん増長してしまう…

気がつけば、周りに誰も仲間はいない。


もちろん、若ければ、若いほど、こういった経験をした人は「自分と向き合う」ことができます。

まぁそのまま大人になっていけば、それはそれで本人が幸せなら良いと思いますが…


大人になれば、なるほど「争い事」を避けていきますし、空気が読めない人は「適度に放置」されることだと思います。

話が脱線しましたが、僕自身は「無視される」「のび太のくせに、なまいきだ的にいきなり分殴られる」「対して成績が良くなかったのに、頭が良いと評判が立つ」「好きな女の子にキモイと遠ざけられる」…黒歴史を振り返ってみると、枚挙に暇がありませんが、こういった、極端な経験をしてきたからこそ、自分自身は今の人生を「愉しく」生きることができています。


嫌なことがあれば、それを「どのように対処していくか?/どうすれば打ち勝つことができるか?」と自分自身で向き合おうと思います。

特に当時は自分をごまかしたり、逃げる場所がありませんでした。オンラインゲームやYouTube、無数の音楽や映像がお小遣いレベルのお金で手に入れることさえできます。

つまり、直面している「本質」と向き合う事なく、根本的な解決することなく、悪戯に時を過ごすことができるのです。

もちろん気分転換や気晴らしと考えると良いと思いますが「向き合うべき現実」から目を背けていることも事実になります。

自身で解決方法を見出せないまま「自分で解決した経験/立ち向かった経験」ができないのであれば、大人になってもと思います。

「若い時の苦労は買ってでもしろ!」

と言う言葉は昔のことわざですが、確かに的を得ています。


そうやった経験が、色々なカテゴリーで、細分化されながら1つずつ乗り越えていくことで、他愛もない会話でも、その人との「関係性」によって、とても大きな財産とプラスの情動となります。

家族や友達や友人が「経験」の肩代わりをしてくれる事はありません。

私自身もごまかしてきたことがこの年になって、皆無と言うわけではありません(笑)

少しでもいろんな状況にプラスの情動を持って、1日を過ごせることが何よりも大切だと思います。


さて、今日も精進したいと思います!
皆様にとっても良い1日でありますように!