新学期…学校に行きたくない人たちへ…

朝日こども新聞に今日の記事として取り上げられていました。

18年以上コーチをさせていただいていると、色んな個性ある子供たちに遭遇します。

ヒロアカで言うところが超個性ですね(笑)

その個性が内面に激しく現れる子達のイメージですね。

僕の時代は不登校と離婚が悪で、いかなる理由があっても後ろ指をさされた時代でした。

母親が苦悩していたことも昨日のことのように思い出します。

おっと、話がまたそれそうになりました、本来は学校に行くべきなのかどうか?

もちろん義務教育なので私自身の立場的にも「頑張っていきなさい」と言う建前が存在します。


しかし、いじめられていたり、特に気づかれにくいのが「先生との確執」です。

先生に反発できたりする子は良いのですが、どうしても内面に抱え込んでしまう子にとってはホロコースト、アウシュビッツのごとくです。

大人のように人生経験を積んでいませんから実は大問題になりかねない事件を含む可能性があります。

不登校の子とはフリースクールの先生ほどではありませんが、逆にフリースクールに行く気すらなかった子たちと接していることを考えるとそれなりの人数と接しています。

親御さんはいろいろと心苦しめられることが多いようですが、実は1番大切なのは「その子自身が自立できる可能性があるかどうか」、そしてさらには「何か1つのことを一生懸命できるかどうか」と言うことだけの話なのです。

経験科学からの域は超えませんが、行く行かないよりも、何か自分のやりたいことを突き詰めていく、そして突き詰めていった先には必ず「壁」があります。

その「壁」を乗り越えるための工夫が人生において死ぬまで糧となります。

中学校に入ると画一的な「学校の成績」が人生のすべてのようなマインドコントロールを多くの人たちが親子問わず受けてしまいます。

しかしながら、世の中で成功している人、また自己肯定感の高い人は(周りから見てどんな状況でも自分を鼓舞できる人も含む)この多感な思春期に「自分発信の世界観」を持つようになります。

通り一辺倒な教育で成功する人もいれば、可能性を潰されてしまう人もたくさんいます。

不登校であっても目的がある子はやりたいことを見つけてフルブライトで興味のある学校に進んだりします。

自分が進みたい道を自負しながら歩んでいる子のほとんどはもしかすると学校で人気者の優等生、または自分の道を突き進む不登校生なのかもしれません。

つまり自分の中でもやもやとしたものが何かわからないまま惰性で人生を歩んでしまうよりも、人とは違う何かを、オンリーワンを見つけるための1つの方法だと考えることができるのであれば、それは「逃げること」では無いのだと強く感じてきました。


学生の18年間や22年間よりも、その後の人生の方が長く険しい道のりになることでしょう。

通り一辺倒な考えよりも、開けた臨機応変な思想が必要な世の中になってきたのだと思います。

少なくともインターネットを利用している人は固執した考えを持たないことを個人的にはお勧めしたいと思います。