テニスでわかる人生観

大人になっても子供のときの良い癖や悪い癖はほとんど変わらないでしょう。

「三つ子の魂100まで」といった古の諺がありますが、不惑の40代になってから「なるほど」と感心させられてばかりです。

テニススクールを皆さんと共に運営させていただいているとある変化に気づきます。

そして変化は事実となって「気づき」となります。

それは大人のレッスンを見ていて感じること、正直プロの選手になるわけではありませんから、「なぜそこまで一生懸命なの?」「どうしてそんなに没頭できるの?」と悪意のないドリームキラーは丸い刃物で言葉として突き刺すこともあるかもしれませんが、1つの大切な「気づき」につながります。


なぜ一生懸命になれるのか、それはおそらく幼少期から何か1つに没頭してきた、またはコミュニティーの差こそあれ「期待され、結果を出してきた」人達だからなのだと実感しました。

週に1回だから「遊び」と言う概念を間違えていて、たとえ週に1回でも、そのためにどれだけの気持ちをぶつけていくかは本人しかわかりません。

また人生の岐路に立たされた時に「生きる目的や人生の意義」を感じた方たちも一心不乱に取り組むことができるのだと思います。



正直40歳を超えて思う事は「爺の年齢」に近づきつつあると言うこと、そして多くの人は自分の体を鍛えることや、精神的な脂肪を削減することを「歳のせい」にしてしまいがちなのです。

大人でも子供でも「やっちまったな」と思うこともあれば、幼稚園や小学1年生の子供を見て「学ばなければならない」と自分の精神的な脂肪の増加に反省をすることもあります。

とにかくスクールに足しげく通ってくださるお客様たちは、ほとんどが「テニス熱」が他のテニスのコミュニティーより強いと感じさせられます。

おしゃべりよりもテニスが好き!
意味不明なボスもいなければ変なコミュニティーもありません(笑)

また同時に幼少期から責任感が強かったり、人のことを考えられるような立派な童だったんだと思います。

ただしほとんどの人は周りから賞賛されていてもその限りでなかったと思われているのだと思います。


まだまだ自分がなすべきことがたくさんあると強く感じました。

歩みを止めればそれで終了、心臓なんてとてもすごいと思いますよね、「あー、めんどくさい、だるい、もういいかな」なんて思ってしまわれたら、僕らは終わりですもんね(笑)

テニスに対しては誰よりも熱意があると自負していましたが、このような方たちに恵まれて、仲間にも恵まれて、その熱があると言うことを再認識できました。

テニスを自分の決めた回数以上に一生懸命になる事は外の世界を知るチャンスとなります、「井の中の蛙大海を知らず」になることがなくなるわけです。世界の広さを知ると無力感を感じることもあるかもしれませんが、人生に対して活力溢れたものになると思います。


子供たちは精神的な成長を遂げるまで何年も要します。

少なくとも16歳から18歳までは彼らが発言することの全てが「本音や本心」ではないと言うことをしっかりと自覚しなければなりません。


今ふと気づいた事は実は僕はカナヅチでした(笑)

お母さんが厳しすぎてスイミングを全部クリアするまではやめてはいけないと言う絶対王政的な教育がありました。

そして、特に心のそこから何かをやりたいと言う信念がなかったためとりあえず続けさせられました(涙)

でも、今となれば「他人から賞賛される何かがなかった僕」にとっては、今の人生に至るまでの大きな「財産」の基礎になったのだと感じました。


やりたいことがあったとしても「他人に認められないこと」は井の中の蛙なのかもしれません。

この難しい人生の方程式を限りなく解き明かすことが出来るように経験科学をもとに邁進していきたいと思います。