「勝ち癖」
テニスにおいても負ける試合が立て続けたりすると少しレベルを下げて、または勝てそうな試合を選んだりすることがあります。
しかし、安易な価値に浸りすぎると我を失うばかりか見えないエフィカシーが低くなってしまう場合があります。
子供と関わるお仕事をされている知人と話をした時のお話です。
「最近は、負けることに恐怖を覚える子供が多い」と知らされました。
遊びだから負けていいじゃん、って言うふうにならない子供がその地域では多いようです。
僕らも昔はよくやったと思いますがトランプや将棋、オセロ、カードゲームなどなど、コミュニケーションの一環でやるゲームに対して「負けたくない」と言う理由から激しく拒絶する子が多くなっているとの事でした。
オンラインゲームとの違いはリアルに複数の人数が存在しない。
途中退場してもIPアドレスを追いかけてこられない限り本人を特定することもできません、もちろん顔なども分かりません。
オンラインゲームをするのにリアルなゲームを嫌がる子は要注意なのかもしれません。
もともと争い事が嫌いで両方やらないのであれば問題はないと思います(笑)
また、どちらに没頭しても過剰に負けることを嫌がらなければこの点においては問題にはならないと思います。
そしてゲームにならないからと大人は優しく手を差し伸べてあげる、もちろん勝ち負けは大人の方が良い塩梅で手心を加えてあげる。
すると一般的には次のステップにと友達どうしで(強い相手に挑戦する)勝負をするはずなのですが、ずっと勝ちたいため、ぬるま湯につかってしまいがちだと言う傾向にあるようです。
1人の中で人生が完結するのであればこれで良いと思います。
しかし、ほぼ100%に近い人は他者と関係を持っていかなければなりません。
負けることで学ぶ事は多くあると思います。
私自身は人間関係を始め学問、スポーツ全てにおいて底辺からのスタートでした。
悔しい気持ちや悲しい気持ちもありましたが、現実を突きつけられるとまず初めに「なんとかこの状況を打破しなければならない」と感じるようになります。
当時は情報も一辺倒で良くも悪くも一方通行でした。
しかし、すべてに恵まれている現代においては様々な情報が、そして方法があるため自分を変えていくタイミングが難しくなってしまいます。
逃げる事はいつでもできます。
けれども、一度、逃げ癖がついてしまうとすべてのことに正々堂々と立ち向かうことができません。
簡単に習い事を変えてしまったり、すぐに休んでしまったり、本人の意に反して勉強を盾に塾に行き、いろんなことを我慢したり、自分の信念ではないところで転職したり、大義名分を掲げたとしても、本心と違うものをまるで自分の正義のように履き違えてしまうことも同じ意味合いを持つのかもしれません。
大切なのは「自分と向き合うこと」「挑戦し続けること」勝ち負けうんぬんよりもどうすれば良いのか?本心と向き合うことです。
人生と言う物差しで測るのであれば、周りと比べて「自立できているのか」「自分の信念を持っているのか」「偽って生きていないか」と言う点に帰結するのだと僕は思います。
もちろんダメダメ人間だった思春期を過ごしてきた僕は子供には「コーチはこんなダメダメな子だったからそんな子になっちゃだめだよ」的なニュアンスで伝える事は徹底しています。
できなかった少年時代を美化したとしても言葉として彼の届くのは皆無です。
そして、私が唯一叱る場面は本人が少しふざけた行動をとった時、でも他人が同じ行動とった時に許せないと言った時、この点に尽きます。
よくあるのは勝ってる時は調子に乗っているのに、負け始めるとものに当たったり他人をディスり始めたりする、勝てないことが悪いわけではない自分に勝つことができない心の弱さが悪いと言う点、その人の全てが悪いわけではなくその部分的な行為が悪だと言う考え方。
罪を憎んで人を憎まず、この言葉は好きではありませんが、状況によっては非常に正しい言葉なのだと思います。
テニスにおいても負ける試合が立て続けたりすると少しレベルを下げて、または勝てそうな試合を選んだりすることがあります。
しかし、安易な価値に浸りすぎると我を失うばかりか見えないエフィカシーが低くなってしまう場合があります。
子供と関わるお仕事をされている知人と話をした時のお話です。
「最近は、負けることに恐怖を覚える子供が多い」と知らされました。
遊びだから負けていいじゃん、って言うふうにならない子供がその地域では多いようです。
僕らも昔はよくやったと思いますがトランプや将棋、オセロ、カードゲームなどなど、コミュニケーションの一環でやるゲームに対して「負けたくない」と言う理由から激しく拒絶する子が多くなっているとの事でした。
オンラインゲームとの違いはリアルに複数の人数が存在しない。
途中退場してもIPアドレスを追いかけてこられない限り本人を特定することもできません、もちろん顔なども分かりません。
オンラインゲームをするのにリアルなゲームを嫌がる子は要注意なのかもしれません。
もともと争い事が嫌いで両方やらないのであれば問題はないと思います(笑)
また、どちらに没頭しても過剰に負けることを嫌がらなければこの点においては問題にはならないと思います。
そしてゲームにならないからと大人は優しく手を差し伸べてあげる、もちろん勝ち負けは大人の方が良い塩梅で手心を加えてあげる。
すると一般的には次のステップにと友達どうしで(強い相手に挑戦する)勝負をするはずなのですが、ずっと勝ちたいため、ぬるま湯につかってしまいがちだと言う傾向にあるようです。
1人の中で人生が完結するのであればこれで良いと思います。
しかし、ほぼ100%に近い人は他者と関係を持っていかなければなりません。
負けることで学ぶ事は多くあると思います。
私自身は人間関係を始め学問、スポーツ全てにおいて底辺からのスタートでした。
悔しい気持ちや悲しい気持ちもありましたが、現実を突きつけられるとまず初めに「なんとかこの状況を打破しなければならない」と感じるようになります。
当時は情報も一辺倒で良くも悪くも一方通行でした。
しかし、すべてに恵まれている現代においては様々な情報が、そして方法があるため自分を変えていくタイミングが難しくなってしまいます。
逃げる事はいつでもできます。
けれども、一度、逃げ癖がついてしまうとすべてのことに正々堂々と立ち向かうことができません。
簡単に習い事を変えてしまったり、すぐに休んでしまったり、本人の意に反して勉強を盾に塾に行き、いろんなことを我慢したり、自分の信念ではないところで転職したり、大義名分を掲げたとしても、本心と違うものをまるで自分の正義のように履き違えてしまうことも同じ意味合いを持つのかもしれません。
大切なのは「自分と向き合うこと」「挑戦し続けること」勝ち負けうんぬんよりもどうすれば良いのか?本心と向き合うことです。
人生と言う物差しで測るのであれば、周りと比べて「自立できているのか」「自分の信念を持っているのか」「偽って生きていないか」と言う点に帰結するのだと僕は思います。
もちろんダメダメ人間だった思春期を過ごしてきた僕は子供には「コーチはこんなダメダメな子だったからそんな子になっちゃだめだよ」的なニュアンスで伝える事は徹底しています。
できなかった少年時代を美化したとしても言葉として彼の届くのは皆無です。
そして、私が唯一叱る場面は本人が少しふざけた行動をとった時、でも他人が同じ行動とった時に許せないと言った時、この点に尽きます。
よくあるのは勝ってる時は調子に乗っているのに、負け始めるとものに当たったり他人をディスり始めたりする、勝てないことが悪いわけではない自分に勝つことができない心の弱さが悪いと言う点、その人の全てが悪いわけではなくその部分的な行為が悪だと言う考え方。
罪を憎んで人を憎まず、この言葉は好きではありませんが、状況によっては非常に正しい言葉なのだと思います。