先日はLIVE配信にお付き合いいただきました皆様ありがとうございました!
水曜日の夜はゆっくりとのんびり「生放送」でご一緒できればと思います。
何かご質問ございましたらお気軽にご相談くださいね!
タイトルがなんだか大袈裟になってしまいましたが、僕が彼らと話すときには「愚痴を訊く」ことに徹することもあります。
42歳となって、周りには信頼できるコーチがいて自分にできることは何なのか?と考えた時期がありました。
弟は2児の父で中学校一年生の女の子と4年生の男の子がいます。
父親って大変ねぇ~と思いながら、実弟を俯瞰しながら、「馬鹿だなぁ~」と少し上から目線、彼から見ればお気楽独身な愚兄貴なので、お互いの言い分は受け入れた上での意見だと思って頂ければ恐縮です。
年に数回、会うくらいですが、大人から見て「くだらない」という事が実は子供の「自分らしさ」を肯定します。
僕はこのままこの歳になったので1つの矜持があって、それは子供たちに接するときに「大人ぶらない」と言ったものです。
ま、私の性格をご存知の方は「素」だと感じてほくそ笑んで頂けると思いますが、例えば、「おこずかい」が毎月きちんともらえているかどうか、欲しいものが正当な理由で手に入る/入らないかどうか・・・本当に大人から見れば「くだらない」事に耳を傾けるようにしています。
結構、「それはマズイだろ!」と思う、子供の言動や行動は実は些細な大人になってみれば見逃すレベルの事が積み重なって「爆発」するのだと感じました。
ストレスをストレスと理解するのは大人でも難しいです。
子供になればなおのことです。
先生との相性や部活や人間関係、少しボタンを掛け違えてしまうと階段を転げ落ちるかのように自己肯定感を下げてしまいます。
反抗期や思春期は誰でも訪れるもので、如何にその時に「助け舟」を出してあげれるかが鍵になってきます。
自分自身の「コミュニティ」や「アイデンティティー」を確立し始めるのがこの辺りになります。
純白な紙のような時期だからこそ、「訊いて」あげることが大切なのではないのでしょうか?と過去の自分を思い出してみた今日この頃でした。
学校生活は退屈で人間関係も良くなかった思春期ですが、いつも、自分の周りに憧れの、心の許せる「お兄ちゃん・お姉ちゃん」が僕の存在理由を一人前のものにしてくれたのだと思います。
世はまさに「鬼滅の刃」ブーム!
しばらくは、煉獄さんの話から彼らと共に問題解決に向かいたいとお思います。
大事の前の小事!