人生においてテニスを考える

 久しぶりに、電車に乗ったら“激混み”、フランスやスペインでは非常事態宣言が出されました。


対岸の火事と思って見ていると大惨事になりかねない!?

一方で周りに従いすぎても玉石混合の世情と情報に陥ってしまいます。

大切なのは「個」としてどのようにすべきかと言う点。

流石に私も手洗い、うがい、抗菌シュッシュといつもよりも念入りにおこないました。


テニスにおいてもその求める先がどこにあるのか?
特に子供達は与えられた勉強とテニスを両立させるかに逡巡しながら平行進行、中学生になればスポーツよりも塾の割合が多くなる。

その子達に「将来なりたいものとか、やりたいことは?」と聞くと沈黙か「ない」…

100人に1人は「〇〇になりたい」「〇〇系の勉強/仕事したい」、行動まで伴っている子は1000人に、1人いるかどうかではないでしょうか…


可能性の部分では広げてあげる必要がある一方で、打ち込む熱量が必ず100%でなければ意味がありません。

少なくとも、そのスポーツ、その学問をしている時はその事だけをしっかり熱望していなければなりません。

しかし、子供にとっても大人にとってもストレスが絶えないこの時代…

簡単に情報が手に入ったり、手軽に通信ができたり、家を出なくてもオンラインでコミュニティーもできる、情報空間で満喫できます。

しかし、媒体は最終的には「人」と「人」、生々しいやりとりこそが「生」を育みます。

人の気持ちが加わって「人生」となります。


コミュニティーの中にどのように自分自身の「超個人主義」を貫くかが人生において大切になってくるのだと思います。

特に数多のグランドスラムチャンピオンを育てたコーチ達は口をそろえて言い放ちます。


「18歳からが勝負だ!」 と。

そして日本においては16歳あたりから大学進学も視野に入り、心も体も技術までも伸び盛りの時期にSTOPがかかります。

この時期にどれだけ世間の流れに(2020年現在では)逆らっていくことができるのか?に尽きるのかもしれません。

陰ながらサポート差し上げます!