「あの人が強い」「あの人は言っていた」
何を根拠にそんなことを言っているのか?
謎な優先順位をつけるのは人間の本能的な癖なのかもしれません。
目指すものの通過点としてこの順位が存在するのであれば何ら問題がないと思います、しかし、その順位づけや言葉の責任の所在を、その存在自体に押し付けてしまう事はグノ骨頂な気もします。
例えばジョコビッチ選手がしているトレーニングがあって、強くなりたいからジョコビッチのトレーニングをした、でもうまくいかなかった、そりゃそうです、表面上の事実だけを捉えてしまうと、結局のところその本当の意味や、内容の深さまで求めることができないからです。
また、できたとしてもそれは何年もかけてオリジナルのものとしてなし得るのみに他なりません。
誰々が〇〇と言っていた、だからそれを盲信する事は本当に真実と言えるのでしょうか?
指導者が1番偉い?
まずそれはありません。
戦績がある人が偉い?
プロ野球の世界でも見ることができるように必ずしも名選手が名監督となるわけではありません。
それは水泳の世界、プロ野球の世界、テニスの世界を見ても一目瞭然です。
自分自身の付加価値や、お得感であるならば、その事実は価値に値するものだと思います。
そして自分自身の考えをなくして、誰々論、〇〇論を語ったところで、成長の兆しがあるはずがありません。
何かにすがりたい気持ちはあったとしても、自分自身の求める本質から逃げてはいけないのです。
強くなりたいのであればまず自分で考える、行動してみる、継続してみる、これらの努力なくして成功なし得る事はできません。
自分より能力の高い相手に負ければ仕方がなかったと思えることもあるでしょう、逆に能力の低いと思った相手に負けてしまうと悔しさや、焦燥感や劣等感、倦怠感さえ感じることでしょう。
でもそんな感情の構造パターンは誰もが持ち合わせているもので仕方がないことなのですが、本当に強くなっていく人は文武のカテゴリー問わず、これらの感情と真逆の情動を持ち合わせているのだと気づかされた1日でした。
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