体は至って元気なのに、心はどんよりテンションも低い。
私が生まれた昭和の時代よりも手軽に何でも入る時代、わからない言葉だって辞書を引かずとも手に入るし、気になる情報があったら玉石混交のリスクはあるとは言え、取捨選択できれば、より正確な情報が手に入れられる時代。
ゲームも知らない人と繋がれる時代。
番組なんてテレビよりもオンラインで溢れるくらいあるし、面白いものがたくさんあって娯楽にも教養などにも不自由しない時代。
それなのに先進国、新興国38カ国の中で「精神的幸福度」37位と言う愕然とする結果になってしまったようだ。
学校内でのいじめや家庭内での不安、加熱する事件競争などがこの原因として挙げられるようだ。
恵まれているのに自己肯定感が持てなくなってしまっている。
恵まれることが当たり前だからなのか?
何でも手に入るから野心がなくなってしまっているのか?
かなり昔にお役所の関係者の方が言っていた。
「今(その当時)は資金を出してもらっても海外に勉強しに行く事はしたくないと思う人が多いようだ。」
この言葉から10年近く経つ今、大きな社会問題が浮き彫りになっているのだろうか…
ちなみに身体的幸福度は第1位…
まるで、とても元気なのにどこにも行かしてもらえない状態、すごくお金があるのに好きなことに使えない状態のようなものなのだろうか?
テニスのレベルがロジャー・フェデラー並みなのに試合に出させてもらえないようなものなのか?
中国に「未病」といった言葉がある。
病状ははっきりしていないが軽い症状が気がつかないレベルで存在する状態のことを指す。
中医学ではこの段階から体を気をつけると無病息災で過ごすことができるといった考えがある。
コロナ問題で色々とやらかしているが、昔から言われているWHO (世界保健機構)の掲げる健康の3大要素と言うものがある。
「運動」「栄養」「休養」
体を動かして、バランスのとれた食事をとり、質の良い睡眠をとる事が大事だとされている。
私は、「うつ病」と「いじめ」両方の経験があるが、人生に嫌気が差したことはあるが、自己肯定感が落ち込んだ事はあまりない、周りに受け入れてもらえないことと、自己肯定感が低くなると言うのは別物だと思う。
社会的地位が高い人や学校の優等生や、スポーツ万能の人、憧れるような人はたくさんいる。
でも必ずしも自己肯定感が高いわけではない。
これは不思議な現象だと思う。
もしかすると、本人のやりたいこととやっていること、目指すものと目指しているものの違いにこの矛盾した結果があるのかもしれない。
話が少し脱線したが、私がこの境遇にあって自己の存在意識を高く保つことができたのは、偶発的に現れた周りの方々、気がつけば必然的とさえ感じてしまうタイミングだと思う。
そして、体を動かし自己を表現するための媒体=テニスに出会ったからなのだと考えながら、おおよそ確信に近づいた。
心と体は常に表裏一体、体を動かし筋肉や骨を鍛えることで、心も強くなるのだと感じざるを得ない。
せめて自分の命を断つようなことのない、精神的幸福度の順位を上げたいと超ミクロ的な立場からテニスを媒体に精進していきたいと思います。
とりあえず、コートに迎えないのであればラケットを握ってすぐ位から始めましょう(笑)
(ネタ元)日本の子ども、幸福度が最低水準 ユニセフの38カ国調査
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