帰国子女と自己表現、子供の未来の決め手

割と海外から帰国して日本で過ごしている小学生が多いと知った今日この頃。

先日もご一緒することがありました。

実は僕、海外に住んでいた経験のある人意外と周りに多くて、その昔お付き合いした人も帰国子女でした(爆)

兄弟がいるとどちらかがとても苦労して、どちらかはうまく順応してといったケースが多いように思います。

しかし双方苦労する事は「自己表現」に対する戸惑いのようです。

自分の意思よりも他人との協調が令和になったこの社会においても強いられる傾向にあります。


もちろん学校で授業を妨害したり、習い事での時間を無意味なものにしようとする行為は万国共通「害悪」になるおそれのある行為だと思います。

もちろん理屈っぽかったり、頭でっかちになってしまったり、その目的の本来の本質からかけ離れてしまう場合も除きます。

例を挙げるならば、足が痛いのはわかるけれども、それを理由に一生懸命やることを怠ったり、一人前のコトを言う割には言うだけで、大言壮語に終わってしまい、行動しないことがこれらに当てはまります。
お子さんが怪我をしたときに大きく分けると2つのパターン親御さんの対応があると思います。
1つは「大丈夫、気合でやってこい」といったようなもの。
1つは心配しすぎて過保護になってしまうと言うこと。

どちらも間違ってはいないと思いますし、子供を育てていない私が言うのもお門違いだと思いますが、1番大切だと感じるのはベクトルが「その子の将来的な社会」に向いているかどうかと言う点にあります。

もし大切な会議で、人生を左右するような大切な面で、足が痛かったり、お腹が痛くなったらどうするんでしょうか?
また、もしプロジェクトとして周りの人間が、組織として同僚や上司たちがそこにいたとしてしたならば、たった1人の責任ではなくなるのではないでしょうか。

歳を重ねると、本当の仲間と言うものは家族以外にも存在するし、その仲間の中で楽しく過ごすのに最も大切なものは「自分自身をどのように強く貫くか」と言う点にあります。

対峙する勢力とどのように戦っていくのか、またはどのように協調していくのか。

自分自身の言いたいこと、聞きたいこと、知りたいこと、これらのことをまず自分で表現してコミニケーションを交わしていくことが学ぶことの本質だと思います。
勉強であってもスポーツであってもこの定義が揺らぐことはないと思います。

話が壮大なものになってしまいましたが、元に戻すと、僕の言いたいのは、素直な自己表現のアクションに対して「教わってるんだから黙って聞きなさい」的な態度を取る事は正直どうかと思うと言う点です。

しかし考慮すべき点は本当にそういうことが気になる人は、公の前でアピールしないと言う点、後でこそっと聞いたりします。中には、気づいてあげるべき人も存在します。

このことを触れると枚挙に暇がないのでおおよそは皆様の想像力にお任せいたします。

そして、そんな時、僕はコミュニケーションの取り方に気をつけるようにしています。
帰国後ってどうしても自分を出そうと思って頑張るのだけれども周りに変な目で見られたり、同調圧力に押し潰されたり、今いる自分の状態よりもかなり無理をして周りと協調していかなければならない状態を受け入れてしまいがちです。

自己表現をすると言う事は生きていく上では1番大切なものですし、周りとの協調は人間として生きている上では必要不可欠なものですが、同時に「玉石混合」の要素も兼ね備えていると言う点を忘れずに歩み続けたいものですね。


生きていくって本当に難しい。

でも、こういった人たちの悩みを間接的にでもプラスの情動に変えていきたいと思った今日この頃でした。

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