怖がる子供と逃げる大人


教育関係者の方とお会いする機会が案外多い私の周りです。

今日はサポートに回っていらっしゃる方とお話しする機会があったので書かせていただきます。

最近の子は「嫌がる」ではなく「怖がる」傾向にあると言われていました。

何の事だろう?と言いますと、勝負事になったときに、なんとしてでも勝ちたいと負けてくれと懇願する子が割と多いと言うお話でした。

それもトランプやカードゲーム、本当にごくごく日常に定着した昭和世代にはもしかしたら理解がしがたい「ゲーム」感覚の遊びの中で起こりうる出来事だということです。

私も愕然としました。
初めは聞き流しているような世間話だったのですが、嫌がるではなく怖がると言う言葉の重みに違和感を感じたのだと思います。

負けるのが嫌と言うのはわかりますが、負けるのが怖いと言うとそもそもの勝負事の本質を理解していないと言うことになります。

負けることが好きな人は誰だっていないと思います。できることなら勝ちたい。

しかし、だからこそ努力をするのであって考えを巡らせたり、思いをめぐらしたりします。

怖いと言うのは1歩も踏み出せないと言う状態です。

例えば泳ぐのが怖いとなると溺れた際に何もできなくなってしまいます。
泳ぐのが嫌いとなるとなんとかしようと言う行動に出る傾向にあります。

勝負事が怖いと言うのは駆け引きができない。
友達関係や恋人関係に至るまで、学校のテストはもちろんのこと受験勉強や、就職活動、バイトの面接も同様のことが当てはまります。

怖がると言う事は自分自身を受け入れられない状態のことでもあるため、まずは嫌がると言う感情に繋げなければなりません。

若かりし日に、神尾米さんとお話しさしていただいたときに、強くなっていく子と、そうでない子の大きな差は試合に負けた際に「ぷいっ」とそっぽを向いて現実で負けたと言うことを受け入れずに練習にも身が入っていない子は伸びるのが難しい、一方でどんなに泣きじゃくっていても、逆に何の感情も表さなくても、負けた次の瞬間から、または翌日から誰に何も言われることなく取り組む意欲や、積極性、練習に対する態度が一変する子、少しずつ変化をしていく子がいるとおっしゃっていました。

負けるのが怖いと感じてしまうと目の前の事実を受け入れることができなくなってしまいます。
負けるのが嫌だと感じることができれば自分の中で受け入れることができるようになります。

平成の初期では企業の勝ち組負け組、平成中期ではストーカー、平成終盤では昭和時代の大半の人間が予想だにしなかったYouTubeバーやプロゲーマーといった言葉が流行りました。

生まれた瞬間から勝負事はつきまといます、何も他人と戦うことがなかったとしても昨日の自分と常に対峙していくのが人間の生きている世界だと思います。

こういった流行語の背景には、勝負の世界を怖がることなく、嫌な経験を糧にして世の中の変化に対応していった人、そうでなかった人達が創り上げた代名詞なのかもしれません。

おそるな、みよ!