「技術」と言うとどうしても「形の問題」「動きの問題」と思われがちです。
例えば何かのイベントがあったとします。
テーマが「バックハンドストローク」だったり「フットワーク」だったり「サービス」だったりします。
「技術」と言うとどうしても「形の問題」「動きの問題」と思われがちです。
例えば何かのイベントがあったとします。
テーマが「バックハンドストローク」だったり「フットワーク」だったり「サーブ」だったりします。
このイベントに参加すると何か「虎の巻」や「秘伝の書」を授けてもらえるかのように考えてしまうこともあるようです。
もちろんそのくらいの意気込みでインストラクターは伝えなければなりませんが、すぐにできるようであればロジャーフェデラーが、錦織圭が、たくさん世に排出されています。
世界の名コーチについてプロになりたい子供たちがなぜ毎日練習をしているのか?と考えてみるとことの問題は火を見るよりも明らかです。
勉強において本当に頭が良い子は何度も何度も繰り返し反復練習を行うか、1つのことを角度を変えてとてもとても掘り下げて脳みそを使います。
テニスももちろん同様のことが言えますが、「体で表現する」と言った点において勉強とは大きく異なります。
しかし一方で、インストラクターの経験談、体験談、熱意、真剣さ、楽しさが偽りなく最大限に内包されていなければなりません。
学問においては科学者の実験に似ているのかもしれません。
新しい発見や、自分の仮説を証明するために何百回、何千回、何万回と実験が繰り返されます。
アドバイスをたくさん聞くのではなく、1つのアドバイス角度を変えながら、掘り下げながら、しかし一方で「何百、何千、何万」とボールを打ちながら超自然的にこれらの2つを行わなければなりません。
家庭教師や塾講師も少しさせていただいたことがありますが、やはりできるとは、またはできるようになる子は文武問わず、これらを無意識のうちに行っています。
いきなり凄い成績をたたき出しても、本人たちの延長の中にあるだけで喜びは感じる事はありますが、喜びに浸ってしまう事はありません。
テニスは動作を持って「練習」とします。
ドンダケ考えて頭でっかちになったところで1つのアドバイスをまずは何千球打ってみて自然と感じたことを心に落とし込まなければなりません。
そしてこの取り組みの最中にマイナスなことを言うドリームキラーを避けなければなりません。「環境」をというものが人生のどの場面においても大切だと言われますが、本当のそれは自己研鑽の延長上にプラスの情報、情動を持って接してくれる仲間や指導者の存在が本質的な役割を果たすものなんだと思います。
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