頭が硬くなりすぎたので、ちょっと一呼吸。
「恋愛」について書いてほしいとなぜかリクエストを受けました。
あくまでも硬くなった頭を柔らかくする目的、今まで俯瞰してきた他人様と自分自身への照合。
人生折り返し点を過ぎたおっさんの戯言、人生の振り返りとして手持ち無沙汰で退屈している人たちの笑いの種として読んでいただければと思います。
もうこの年になってしまうと恋愛と言うものは「精神病の一種」と思ってしまう今日この頃です。
涼宮ハルヒの憂鬱の主人公「涼宮ハルヒ」は、漫画の中で恋愛についてこんな風に言っていました。
「ふんだ。男なんかどうでもいいわ。恋愛感情なんてんはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ。あたしだってねー、たまーにだけどそんな気分になったりするわよ。そりゃ健康な若い女なんだし身体をもてあましたりもするわ」
続いてエヴァンゲリオンの加持リョウジの言葉
「彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ…我々にとってはね」
そして最後は昔髪型まで真似ようか迷ってしまったT.M.Revolutionの「蒼い霹靂」、作詞家井上秋緒さんのフレーズはうまく言い当ててる気がしています。
「恋の中にある 死角はシタゴコロ」
「恋の字の中に 四角はシタゴコロ」
「愛の真ん中の ココロを揺さぶって」
リクエストとは言え、まじまじと書けば書くほど、低俗なものになりそうで、「恋愛」についてなんて私が語るのは本当に難しいです。
まぁ、自分自身がある対象者とこうなりたいなぁ、こうしたいな、と言う段階の気持ちは「恋」、そしてそういう欲望が満たされたとき、すべての願いが叶った時に初めて純粋にその人を好きでいることができるのかどうか、結果それでも好きだというのが「愛」だと思います。
Jrのお母様方と接しているとお子さんに対して「無償の愛」を感じます。
表現の仕方は十人十色、多種多様ですが、共通して感じるのは「この子をしっかりと自立させてあげたい」。この気持ちに尽きます。
つまり愛を定義したときには「他人がどうあるかより、無条件で駆け引きなしに対象の相手に激しく心を寄せること」なのだと思います。
そして、相手の心が「呼応」することで本当の愛が成立するのだと思います。
つまり恋愛と言うのはこの2つの間の「恋」と「愛」が50%と50%の均衡を保ちながらときには20%と80%、ときには60%と40%とシーソーゲームになる状態がこの言葉なんだと私は思います。
ミスターチルドレンの「シーソーゲーム」は恋愛の機微や本質について書かれているのかもしれませんね。
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アキレス腱を切ってからの復帰までpart3
https://youtu.be/qicoYk7-Ox0
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